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その批判、検証は十分か?
なんか最近また湧いてきたようなので
何か書く前にちょいと読んでおくといいよ。
仮に「火事を鎮火するためにはガソリンをかけるのが正しい」と思い込んでいる者がいたとすると
彼には「火事を鎮火するためには水をかけるのが正しい」というあなたの事が「本当に馬鹿にしか見えない」。
プリティ☆ベルはまず「正しさの定義」と「社会の目的」から
「結果」まで検証したうえでこれは適切これは不適切と示しているが
あなたはそういう作業をしましたか?
例えば気づかない間に結果平等主義に染まって
本来「不当に差をつけるな。公正であれ。」である「差別はいけない」を
勝手に「民族ぐるみでなら何をしても
結果として平等にあつかわなければならない」に脳内で変更していたり。
「公正」と「平等」を混同していたり。
そうした場合の結果は検証しましたか?
排除という機能を禁止されて相容れない相手と延々混ざり続けるとその結果は?
分かりやすく言うと
「あなたたちとあなたたちが一番嫌いな勢力が友好と差別禁止の名のもとに
一つ屋根の下で仲良く暮らすことを強要され続けると結果どうなる?」
そういうこと考えましたか?
頭の中に「差別は許されない」という名目で
「実態と関係なく全ての民族は結果として平等に扱われなければならない」が
まずあって
「それに沿うか沿わないか」で善悪正否を判断したりしてませんか?
「平等と公正を混同」してたり
「自分個人でさえ実現できないような変な理想を社会に要求」してたり
「差別はいけないと言いながらその実
同じことしても民族によって評価を変える
本当の意味での民族差別をしてたり」
何か表明する前に
そういう変な思い込みがないか自分を検証してからにするといいとおもうよ。
そうでないと本当に発言が全部自分に返ってくるからね。
例えば相手が右翼だと思ってたら自分が外国の右翼と全く同じ主張をしてたり
相手は民族差別主義者だと思ってたら自分が本当の意味での民族差別をしてたり
相手が馬鹿だと思ってたら自分は自己検証なんて一度もしたことないどころか
正しいとは何かすら理解できてなかったり。
おまけ
あなたが民族差別をしてるかどうか分かるテスト
「「日本」人が「アメリカ」人に対し
捏造してまで貶め、ことあるごとに侮辱し、
国旗を焼いて不幸を喜び
民族ぐるみで反「米」をやり続けたうえで
それで嫌われたら差別だと騒ぎ立てた場合
あなたはその「日本」人をどう評価するか?」
カッコ内の国名が変わっても
「評価が変わらない」のが
民族差別をしていない公正な状態。
「国名が変わると評価が変わる」のが民族差別です。
ちなみに国名が変わっても評価は変わらないが
「適切な行為であり相手国は受け入れるべきである」という結論になるなら
あなたは戦争を引き起こそうとしています。
追記
何か一つ認識の歪みがあると「言葉が全部自分に返ってくる」から気を付けようね。
例えば「馬鹿」と書いたらそのまま帰ってくるし
「間違ってる」と書いたらそのまま帰ってくるし
「傲慢」と書いたらそのまま帰ってくる。
更に相手を「馬鹿」と評価すると「自分は相手より賢い」と表明する事になるし
相手を「間違ってる」と評価すると「自分は正しい」と表明することになるし
相手を「傲慢」と評価すると「自分は相手より謙虚」と表明することになる。
あなたは相手より「賢い」文章をそこに書けるか?
「何が正しい」のかそこに書けるか?
相手より「謙虚」な態度を本当にしているか?
自分の思い込みだけで結果の検証も相対評価することもなく
「私の感覚こそが絶対であり正義であり賢明さの基準である
それに逆らうお前は悪であり愚かであると本当に心の底から思って
疑問に思ったこともありません。
自己検証なんて考えたこともないです。
どうしたらいいかすらわかりません。」
とそこに表明しようとしていないか?
ちゃんと検証した?
この記事はそういうところ「書く前に気を付けようね」という記事なので
気を付けたほうがいいよ。
何か書く前にちょいと読んでおくといいよ。
仮に「火事を鎮火するためにはガソリンをかけるのが正しい」と思い込んでいる者がいたとすると
彼には「火事を鎮火するためには水をかけるのが正しい」というあなたの事が「本当に馬鹿にしか見えない」。
プリティ☆ベルはまず「正しさの定義」と「社会の目的」から
「結果」まで検証したうえでこれは適切これは不適切と示しているが
あなたはそういう作業をしましたか?
例えば気づかない間に結果平等主義に染まって
本来「不当に差をつけるな。公正であれ。」である「差別はいけない」を
勝手に「民族ぐるみでなら何をしても
結果として平等にあつかわなければならない」に脳内で変更していたり。
「公正」と「平等」を混同していたり。
そうした場合の結果は検証しましたか?
排除という機能を禁止されて相容れない相手と延々混ざり続けるとその結果は?
分かりやすく言うと
「あなたたちとあなたたちが一番嫌いな勢力が友好と差別禁止の名のもとに
一つ屋根の下で仲良く暮らすことを強要され続けると結果どうなる?」
そういうこと考えましたか?
頭の中に「差別は許されない」という名目で
「実態と関係なく全ての民族は結果として平等に扱われなければならない」が
まずあって
「それに沿うか沿わないか」で善悪正否を判断したりしてませんか?
「平等と公正を混同」してたり
「自分個人でさえ実現できないような変な理想を社会に要求」してたり
「差別はいけないと言いながらその実
同じことしても民族によって評価を変える
本当の意味での民族差別をしてたり」
何か表明する前に
そういう変な思い込みがないか自分を検証してからにするといいとおもうよ。
そうでないと本当に発言が全部自分に返ってくるからね。
例えば相手が右翼だと思ってたら自分が外国の右翼と全く同じ主張をしてたり
相手は民族差別主義者だと思ってたら自分が本当の意味での民族差別をしてたり
相手が馬鹿だと思ってたら自分は自己検証なんて一度もしたことないどころか
正しいとは何かすら理解できてなかったり。
おまけ
あなたが民族差別をしてるかどうか分かるテスト
「「日本」人が「アメリカ」人に対し
捏造してまで貶め、ことあるごとに侮辱し、
国旗を焼いて不幸を喜び
民族ぐるみで反「米」をやり続けたうえで
それで嫌われたら差別だと騒ぎ立てた場合
あなたはその「日本」人をどう評価するか?」
カッコ内の国名が変わっても
「評価が変わらない」のが
民族差別をしていない公正な状態。
「国名が変わると評価が変わる」のが民族差別です。
ちなみに国名が変わっても評価は変わらないが
「適切な行為であり相手国は受け入れるべきである」という結論になるなら
あなたは戦争を引き起こそうとしています。
追記
何か一つ認識の歪みがあると「言葉が全部自分に返ってくる」から気を付けようね。
例えば「馬鹿」と書いたらそのまま帰ってくるし
「間違ってる」と書いたらそのまま帰ってくるし
「傲慢」と書いたらそのまま帰ってくる。
更に相手を「馬鹿」と評価すると「自分は相手より賢い」と表明する事になるし
相手を「間違ってる」と評価すると「自分は正しい」と表明することになるし
相手を「傲慢」と評価すると「自分は相手より謙虚」と表明することになる。
あなたは相手より「賢い」文章をそこに書けるか?
「何が正しい」のかそこに書けるか?
相手より「謙虚」な態度を本当にしているか?
自分の思い込みだけで結果の検証も相対評価することもなく
「私の感覚こそが絶対であり正義であり賢明さの基準である
それに逆らうお前は悪であり愚かであると本当に心の底から思って
疑問に思ったこともありません。
自己検証なんて考えたこともないです。
どうしたらいいかすらわかりません。」
とそこに表明しようとしていないか?
ちゃんと検証した?
この記事はそういうところ「書く前に気を付けようね」という記事なので
気を付けたほうがいいよ。
討論必勝法 予備テクニック
前回討論必勝法と書きましたが
これは「長期的な必勝法」です。
「議題に対しそれを正しく自分の目的にすれば
間違えれば改めるだけなので
討論において100%勝利しかなくなる」というものです。
さて次は「短期的な討論による勝敗」について。
これはさすがに「必勝法」はないです。
しかし正しいものが勝利に近づくテクニックはあります。
もともと「正しいもの」は「間違った者」に対して圧倒的に有利なのです。
しかし場合によってはそれを誤魔化しや観念論でひっくり返される場合があります。
逆にそれさえなければ必勝とは言えずとも「限りなく必勝に近い」状態になります。
その方法とは
「目的と状況と手段と結果を常時明示する」ことです。
具体的にはホワイトボードでも紙でもなんでもかまいませんが
「議題の目的と状況と手段とその結果を常にみんなが見える状態で明示する」ことです。
反論があればそれも書き足していきます。
そしてその「反論の内容を行った結果どうなるか」示していきます。
すると論理破綻も整合性も一目瞭然となり
これにより討論そのものの混乱や迷走が抑え込まれ
より正しいものが何か明確になり続けます。
またこれにより間違った論者が観念論や論理のすり替えによる
誤魔化しを行う余地が極めて少なくなります。
「間違った論者」(別の目的を持ち議題の結果をもたらさないことを主張している者)がやるべきことは
目的から結果までを不明瞭にし観念論に持ち込み神学論争並みに難しい話であるかのように偽装し
「とにかく結局わからないようにすること」です。
ならば「正しい論者」(議題の目的に対し正しくその結果をもたらすことを言っている者)がやるべきことは
「目的から結果まで明確化し白黒はっきりつける」こと。
つまり目的から状況、手段、結果はもちろん、
言葉の定義から意味までとにかく
「ひたすら明確化して誰にでもわかるようにする」。
「そして誤魔化しは即座に対応し、しっかり{目的から結果までの話}に引き戻す」。
「常に{結果}を想定し示す」。
これが討論を行う際の基本テクニックとなります。
これは「長期的な必勝法」です。
「議題に対しそれを正しく自分の目的にすれば
間違えれば改めるだけなので
討論において100%勝利しかなくなる」というものです。
さて次は「短期的な討論による勝敗」について。
これはさすがに「必勝法」はないです。
しかし正しいものが勝利に近づくテクニックはあります。
もともと「正しいもの」は「間違った者」に対して圧倒的に有利なのです。
しかし場合によってはそれを誤魔化しや観念論でひっくり返される場合があります。
逆にそれさえなければ必勝とは言えずとも「限りなく必勝に近い」状態になります。
その方法とは
「目的と状況と手段と結果を常時明示する」ことです。
具体的にはホワイトボードでも紙でもなんでもかまいませんが
「議題の目的と状況と手段とその結果を常にみんなが見える状態で明示する」ことです。
反論があればそれも書き足していきます。
そしてその「反論の内容を行った結果どうなるか」示していきます。
すると論理破綻も整合性も一目瞭然となり
これにより討論そのものの混乱や迷走が抑え込まれ
より正しいものが何か明確になり続けます。
またこれにより間違った論者が観念論や論理のすり替えによる
誤魔化しを行う余地が極めて少なくなります。
「間違った論者」(別の目的を持ち議題の結果をもたらさないことを主張している者)がやるべきことは
目的から結果までを不明瞭にし観念論に持ち込み神学論争並みに難しい話であるかのように偽装し
「とにかく結局わからないようにすること」です。
ならば「正しい論者」(議題の目的に対し正しくその結果をもたらすことを言っている者)がやるべきことは
「目的から結果まで明確化し白黒はっきりつける」こと。
つまり目的から状況、手段、結果はもちろん、
言葉の定義から意味までとにかく
「ひたすら明確化して誰にでもわかるようにする」。
「そして誤魔化しは即座に対応し、しっかり{目的から結果までの話}に引き戻す」。
「常に{結果}を想定し示す」。
これが討論を行う際の基本テクニックとなります。
討論必勝法
さぁてこの際せっかくなので
討論必勝法をお教えしちゃいましょう。
討論に必勝法があるのか?
あります。
まず「対話、交渉、説得、議論、討論」というのがそれぞれ何なのかから行きましょう。
まず「対話」。
これは普通ですね。相互にお話すること全般です。
次に「交渉」
これは「目的が違うことを前提」とした相手と
互いにいい具合の落としどころを探るべく駆け引き、取引などを行うことです。
A国の国益のために働く政治家とB国の国益のために働く政治家は完全に目的が違います。
「目的が違うことを前提として」互いの利益などのために行われるのが「交渉」です。
次に「説得」
これは「目的が違うことを前提」に「相手の目的自体を変えようとする試み」です。
「逮捕されないことを目的」とし立てこもった犯罪者に「もうやめろ!!故郷のお母さんが泣いてるぞ!!」
などといって「ああもうきっちり逮捕されて人生やり直そうかな」と「目的自体を変えさせる」のが「説得」です。
次に「議論」
これは「目的が同じ相手」と
情報を共有し合い知恵を出し合うことによって
より高度で正確な意思決定を行うための「協力作業」です。
「A国の政治家同士がA国の国家目的のために知識と知恵を出し合い
共有することで誤解や間違いをただしより意思決定を正確にする」など
「目的が同じ者同士の協力作業」が「議論」(ディスカッション)です。
最後に「討論」
これは議論の場に
「目的が同じと言いながらその実、別のことを目的としている嘘つき」がいると発生します。
例えばA国の国家目的のために何をするか議論しているのに
そこに新自由主義の理想を実現することが目的の詐欺師が混じっていて
「いやこう(新自由主義から出た結論)することこそが国益になるのだ!!」と嘘をつくと
「これが正しい!それは間違いだ!!お前は嘘つきだ!!」
「いやそっちこそ間違いだ!!これが正しい!!お前は嘘つきだ!!」と互いに否定し合う「討論」が発生します。
さて人間が行う意思疎通形式をおおむね一通り見ましたが
この中で「討論」だけが特殊です。
他のものは全て「目的」が違うにせよ同じにせよ
それは「前提」としてはっきりしているのに対し
討論だけは「嘘つきが混じって」います。
「目的が同じと言いながら実は違うことを目的としている嘘つきがいるときだけ」「討論」が発生するわけです。
そして目的に対する「最善の答え」「正解」は最善故に「一つ」しかありません。
つまり討論が発生するとき「正解を述べている者以外は全部ウソつき」です。
「私は目的に対し正しくその結果をもたらすことを言っている」と言いながら
その実「その結果をもたらさないことを主張している嘘つき」だということです。
ここで一つ重要なポイントですが
「議論から討論に移行する際どこまでが議論でどこからが討論なのか」。
「議論」は「意思決定のための情報共有」なので
誤解や判断に必要な情報を知らないがゆえに間違ったことをいう人も当然います。
そういった誤解や間違いを情報共有によって修正し
正確な意思決定をするのが議論の目的なのでそれはなんら問題ではありません。
議題の目的に対し間違ってたなら素直に改めればいいだけです。
正しく目的が議題通りであるならそれは簡単にできます。
A「戦車って歩兵のミサイルにもRPGにもやられるし要らなくね。(議題・国防上の合理性)」
B「それ戦車単独で歩兵に都合のいい状況でタイマン張ること想定してるだろ。
いろんな兵器や兵種で連携とってチームとして戦うんだから戦車がないとその連携に穴ができるよ。
それにミサイルやロケット持ってる歩兵もそんな簡単に戦車に近づけないし
対戦車兵器持ってる歩兵は随伴歩兵のいい的だし
あとRPGは現場のゲリラは特攻兵器扱いしてるよ。(Aが知らない情報の提供と共有)」
A「そうなのか。じゃあ要るな(議題に合わせた結論の修正。)」
しかし「実は目的が違うもの」がいると
その「改める行為」ができません。
A「戦車って歩兵の(以下略)要らなくね」
B「それ戦車単独で(以下略)」
A「いやそんなもの軍需産業の狡猾な罠だ。
やっぱり戦車は要らない。税金の無駄遣いだ。」
B「いや戦車とか1両10億もしねぇし。500台増減させても国民一人当たり5000円以下だし」
A「血税に変わりはない!!そもそも日本は海洋国で・・・」
B「戦車無かったら敵は戦車揚陸しなくても軽装備でもやりたい放題できちゃうだろうが。
あと実戦のデータで戦車があるとないでは死傷者数が・・・」
A「いや日本は海洋国である以上海と空を・・・だから戦車は要らない!!」
(国防上の合理性が目的と言いつつ本当の目的は「戦車が要らない」という持論を通すことなので
どんな証拠を出しても絶対に納得しない)」
「情報共有が行われても改めない者がいる」
「実は目的が違うものがいる」
それが発覚した瞬間から討論のスタートになります。
そしてここからが本題ですが
「目的が実は違うもの」はその時点で「致命的な弱点」を抱えているということが分かります。
なんせ「嘘」なんですからどうやったっていずれバレます。
目的が実は違う詐欺師にできるのは「如何に誤魔化してどっちもどっちに持ち込むか」だけです。
ゆえに討論において必勝するには「その弱点を抱えない」ことが第一です。
つまり「議題の目的を正しく「自分の目的」にすること」。
これが「討論必勝法」です。
自分が「議題の目的」に対し間違っていたら?
「素直に改めればいい」んです。
議題の目的が自分の目的なのですから何も問題ありませんし
なんら意地を張る必要もありません。
自分が間違っていても「負けない」どころか
むしろ情報をもらえて目的に対する正しい結論に修正できてウハウハ。
正しければ「勝者」。間違っていても「勝者」な訳ですから絶対負けません。
「必勝」です。
そして当然「必勝法」がある以上「必敗法」もあります。
「議題の目的以外の目的を持ち」
「それにこだわり」「改めず」
「何が正しいか」ではなく「どうやったら誤魔化して自分が正しいことにできるか」
考え始めたらもういつか必ず負けます。
たとえ一時社会を誤魔化し騙すことができたとしても
それで社会に一つ嘘がふりまかれ迷走させてしまったわけですから
その結果は巡り巡って自分も被ることになるので「勝っても負け」です。
論破されてもなお食い下がれば「負けに負けを重ねる」ことになります。
「必敗」です。
討論必勝法をお教えしちゃいましょう。
討論に必勝法があるのか?
あります。
まず「対話、交渉、説得、議論、討論」というのがそれぞれ何なのかから行きましょう。
まず「対話」。
これは普通ですね。相互にお話すること全般です。
次に「交渉」
これは「目的が違うことを前提」とした相手と
互いにいい具合の落としどころを探るべく駆け引き、取引などを行うことです。
A国の国益のために働く政治家とB国の国益のために働く政治家は完全に目的が違います。
「目的が違うことを前提として」互いの利益などのために行われるのが「交渉」です。
次に「説得」
これは「目的が違うことを前提」に「相手の目的自体を変えようとする試み」です。
「逮捕されないことを目的」とし立てこもった犯罪者に「もうやめろ!!故郷のお母さんが泣いてるぞ!!」
などといって「ああもうきっちり逮捕されて人生やり直そうかな」と「目的自体を変えさせる」のが「説得」です。
次に「議論」
これは「目的が同じ相手」と
情報を共有し合い知恵を出し合うことによって
より高度で正確な意思決定を行うための「協力作業」です。
「A国の政治家同士がA国の国家目的のために知識と知恵を出し合い
共有することで誤解や間違いをただしより意思決定を正確にする」など
「目的が同じ者同士の協力作業」が「議論」(ディスカッション)です。
最後に「討論」
これは議論の場に
「目的が同じと言いながらその実、別のことを目的としている嘘つき」がいると発生します。
例えばA国の国家目的のために何をするか議論しているのに
そこに新自由主義の理想を実現することが目的の詐欺師が混じっていて
「いやこう(新自由主義から出た結論)することこそが国益になるのだ!!」と嘘をつくと
「これが正しい!それは間違いだ!!お前は嘘つきだ!!」
「いやそっちこそ間違いだ!!これが正しい!!お前は嘘つきだ!!」と互いに否定し合う「討論」が発生します。
さて人間が行う意思疎通形式をおおむね一通り見ましたが
この中で「討論」だけが特殊です。
他のものは全て「目的」が違うにせよ同じにせよ
それは「前提」としてはっきりしているのに対し
討論だけは「嘘つきが混じって」います。
「目的が同じと言いながら実は違うことを目的としている嘘つきがいるときだけ」「討論」が発生するわけです。
そして目的に対する「最善の答え」「正解」は最善故に「一つ」しかありません。
つまり討論が発生するとき「正解を述べている者以外は全部ウソつき」です。
「私は目的に対し正しくその結果をもたらすことを言っている」と言いながら
その実「その結果をもたらさないことを主張している嘘つき」だということです。
ここで一つ重要なポイントですが
「議論から討論に移行する際どこまでが議論でどこからが討論なのか」。
「議論」は「意思決定のための情報共有」なので
誤解や判断に必要な情報を知らないがゆえに間違ったことをいう人も当然います。
そういった誤解や間違いを情報共有によって修正し
正確な意思決定をするのが議論の目的なのでそれはなんら問題ではありません。
議題の目的に対し間違ってたなら素直に改めればいいだけです。
正しく目的が議題通りであるならそれは簡単にできます。
A「戦車って歩兵のミサイルにもRPGにもやられるし要らなくね。(議題・国防上の合理性)」
B「それ戦車単独で歩兵に都合のいい状況でタイマン張ること想定してるだろ。
いろんな兵器や兵種で連携とってチームとして戦うんだから戦車がないとその連携に穴ができるよ。
それにミサイルやロケット持ってる歩兵もそんな簡単に戦車に近づけないし
対戦車兵器持ってる歩兵は随伴歩兵のいい的だし
あとRPGは現場のゲリラは特攻兵器扱いしてるよ。(Aが知らない情報の提供と共有)」
A「そうなのか。じゃあ要るな(議題に合わせた結論の修正。)」
しかし「実は目的が違うもの」がいると
その「改める行為」ができません。
A「戦車って歩兵の(以下略)要らなくね」
B「それ戦車単独で(以下略)」
A「いやそんなもの軍需産業の狡猾な罠だ。
やっぱり戦車は要らない。税金の無駄遣いだ。」
B「いや戦車とか1両10億もしねぇし。500台増減させても国民一人当たり5000円以下だし」
A「血税に変わりはない!!そもそも日本は海洋国で・・・」
B「戦車無かったら敵は戦車揚陸しなくても軽装備でもやりたい放題できちゃうだろうが。
あと実戦のデータで戦車があるとないでは死傷者数が・・・」
A「いや日本は海洋国である以上海と空を・・・だから戦車は要らない!!」
(国防上の合理性が目的と言いつつ本当の目的は「戦車が要らない」という持論を通すことなので
どんな証拠を出しても絶対に納得しない)」
「情報共有が行われても改めない者がいる」
「実は目的が違うものがいる」
それが発覚した瞬間から討論のスタートになります。
そしてここからが本題ですが
「目的が実は違うもの」はその時点で「致命的な弱点」を抱えているということが分かります。
なんせ「嘘」なんですからどうやったっていずれバレます。
目的が実は違う詐欺師にできるのは「如何に誤魔化してどっちもどっちに持ち込むか」だけです。
ゆえに討論において必勝するには「その弱点を抱えない」ことが第一です。
つまり「議題の目的を正しく「自分の目的」にすること」。
これが「討論必勝法」です。
自分が「議題の目的」に対し間違っていたら?
「素直に改めればいい」んです。
議題の目的が自分の目的なのですから何も問題ありませんし
なんら意地を張る必要もありません。
自分が間違っていても「負けない」どころか
むしろ情報をもらえて目的に対する正しい結論に修正できてウハウハ。
正しければ「勝者」。間違っていても「勝者」な訳ですから絶対負けません。
「必勝」です。
そして当然「必勝法」がある以上「必敗法」もあります。
「議題の目的以外の目的を持ち」
「それにこだわり」「改めず」
「何が正しいか」ではなく「どうやったら誤魔化して自分が正しいことにできるか」
考え始めたらもういつか必ず負けます。
たとえ一時社会を誤魔化し騙すことができたとしても
それで社会に一つ嘘がふりまかれ迷走させてしまったわけですから
その結果は巡り巡って自分も被ることになるので「勝っても負け」です。
論破されてもなお食い下がれば「負けに負けを重ねる」ことになります。
「必敗」です。
「否定した瞬間かわいそうな子決定な話」がなぜそうなのかというとだな
「かわいそうな子」が一匹湧いてきてたのでより詳細に説明しましょう。
こういうのは「結果」を想定して見ればわかります。
では前回の「否定した瞬間かわいそうな子決定」の要素が
事実ではない!!ということになった場合どのような結果になるか想定してみましょう。
【国家目的は「民の生存と発展」とは限らない】
全ての政策は対等になり
「正しい政策」も「間違った政策」も存在しなくなります。
なぜなら「目的」が不明瞭であり
民の生存と発展とは限らないのですから。
結果として国民がより多く死ぬ政策もより貧しくなる政策も
全く問題ではありませんし批判する根拠がありません。
例えば新自由主義者が国家目的は新自由主義の実現であり
民の生存と発展ではないといって今後
供給能力が限界まで削減されるまでデフレを続けようと
小さな政府をといって国土強靭化などを取消し
それで何十万人死のうともそれを非難する根拠はありません。
「国家目的に反する」と指摘できなくなります。
気に食わないからエロ漫画規制したいというものが
表現規制しますといっても
それで結果どうなろうと非難する社会的根拠がありません。
二次規制で現実の犯罪が増えようと文化が一つ潰れようと
多くの人が生活を奪われようと
それを非難する客観的根拠がありません。
どんなやってはいけない理由を並べようと
それが事実だろうと「だから何?私たちは規制したいんだ。
政治家への影響力と数の暴力で勝負をつけようか」で終わりです。
放火魔があなたの家に火をつけて
あなたの家族も家も焼かれたとしたら
あなたは激怒するでしょうが
それを社会的に非難する根拠はなく
警察が放火魔を逮捕する理由もありません。
そもそも警察や法律が存在する必要すら不明瞭です。
「あなたには都合悪かったね。でも社会からしたら
放火魔の放火が正しいとか間違ってるとか判断できないんだよ。
なぜなら社会の目的そのものが人それぞれだから」
ということになります。
「目的が定まっていない」ということは
「正しい」「間違い」の判断基準が存在せず
「どのようなものであろうと目的次第で認められ」
「全ての主張も批判もそいつがそう思ってるだけ」で
「それが通るかどうかは結果の正当性ではなく数の暴力や物理的暴力のみ」ということです。
いわゆる無法地帯ですね。
これはそもそも社会や国家と言えるでしょうか。
こんな社会はおかしいですか?
おかしいですね。
これを「おかしい」と判断するあなたの基準
世の中の人の基準は何か?
「何の目的に照らして」おかしいと判断しているのか?
言葉にすると「民の生存と発展」です。
社会契約論だとかどの国だからどうだとか
個々人の気分がどうだとか全く関係ない
「群れというシステム自体」の目的です。
ちなみに犬やサルの「群れ」でさえ
この目的はしっかり持って活動しています。
持っていないなら「群れそのもの」が成り立たないからです
つまりこれを否定したがる奴は
「群れを作る生き物として」歪んでる。
もしくは「その群れに対する敵対者」ということです。
【価値観の違いは対等であり尊重されなければならない】
これも上記と同じです。
価値観の違いとは「目的の違い」であるため
これを全て対等とすると
この社会において誰にも何事をも判断できなくなります。
あなたが殺されたとしても
あなたの命よりあなたの金を奪うことが大事だった殺人犯の価値観は
尊重されなければならないので逮捕もなにもできません。
またそれを止める社会的根拠がゼロです。
これもいわゆる「無法地帯」ですね。
これではいけない?
殺人犯の価値観は尊重しないのに「価値観の違いは対等であり尊重せよ」と言っているなら
それはつまり「私に都合の悪い価値観は尊重しなくていい。
社会的に否定されるはずのゆがんだ私の価値観は対等な価値観の違いなので尊重せよ」と
言っているだけの詐欺師です。
【目的は不明瞭でよく状況は把握せずともよく結果は想定せずともいい】
もう説明しなくてもいいよね。これ。
まぁ一言だけ言っておくと無法地帯以前のカオスになります。
目的と結果が一致しない意味不明な活動があふれかえるだけですね。
さて。
これらのことはいつの時代のどの国だろうと
人間以外の犬やサルの群れだろうと
「必然」として行われる要素です。
これが否定されたときは「群れそのもの」が崩壊します。
個人的主観も価値観も関係のない
「「群れ」「国家」「社会」が「そもそも成立するため」の要素」だからです。
この社会で議論される「あらゆることの大前提」であり
ここを否定したらもうこの社会そのものが成立しません。
またこの大前提を否定した者とは何の議論も成り立ちません。
「判断の根拠そのもの」を否定しているわけですから
なにも判断できずなにも考えることができない人間ということです。
さて、ここでこの
「判断基準の大前提が否定され不明瞭になった状態」
というのは「一体誰にとって都合がいいのか?」と考えてみましょう。
一般大多数の人にとっては大変不都合です。
上記のことはもちろん判断基準そのものが失われ
全ての判断が迷走することになります。
上記のような主張がまかり通った結果は
「誰にも何もわからない」ことになります。
この「誰にも何もわからない状態」が都合がいい人間。
それは誰でしょう。
「詐欺師」「嘘つき」です。
判断基準を明確にされると彼らの「詐欺」は
「目的と結果の想定とその検証」によってあっという間にばれてしまいます。
しかし「国家目的さえ不明瞭で誰にも何も分からない」
「主張が違っても価値観の違いとして尊重される」
「目的も状況も結果も考えない」社会であれば
詐欺師は大いにはびこることが可能です。
「目的が不明瞭で結局わからない状態」は「詐欺師が詐欺師ではないことになる状態」
「価値観の違いがなんであれ尊重される状態」は「社会的に排除されるべき詐欺師だけが尊重される状態」
「目的や結果を明確化しない状態」は「詐欺師が見抜かれない状態」
なわけですね。
さてこういう大前提となる判断基準そのものを否定する連中というのは
自ら「何もわからないことにしていながら」
「それにもかかわらず何事かを強く主張」しています。
つまり「詐欺師」です。
「歪んだ主張を通したい、認めさせたいから」
「誰にも何もわからないように判断基準そのものを否定し」
にもかかわらず「これが正しいと主張する」わけですね。
社会の論理の大前提を否定したがる者、
それを何度説明されても「わかりたくない者」とは
社会的に間違った主張と価値観をごまかして社会に受け入れてほしい「詐欺師」です。
「詐欺師」の自覚がなく
さらに「普段自分が当然としている判断の大前提」を説明されても「わかりたくない」のであれば
それは本当に低能でゆがんだ「無自覚な詐欺師の協力者」です。
どのくらい低能かというと
「判断基準そのものを否定し何もわからないと自ら主張して居ながら
これが正しいお前は間違ってると主張でき
お前の価値観は尊重しないから私の価値観を尊重せよと真顔で主張し
それをごまかすために本題と関係ない話と曲解と決めつけと誤魔化ししか出てこない上に
その状態を改善することが決して不可能」というちょっと会話不可能なレベルです。
こういうのは「結果」を想定して見ればわかります。
では前回の「否定した瞬間かわいそうな子決定」の要素が
事実ではない!!ということになった場合どのような結果になるか想定してみましょう。
【国家目的は「民の生存と発展」とは限らない】
全ての政策は対等になり
「正しい政策」も「間違った政策」も存在しなくなります。
なぜなら「目的」が不明瞭であり
民の生存と発展とは限らないのですから。
結果として国民がより多く死ぬ政策もより貧しくなる政策も
全く問題ではありませんし批判する根拠がありません。
例えば新自由主義者が国家目的は新自由主義の実現であり
民の生存と発展ではないといって今後
供給能力が限界まで削減されるまでデフレを続けようと
小さな政府をといって国土強靭化などを取消し
それで何十万人死のうともそれを非難する根拠はありません。
「国家目的に反する」と指摘できなくなります。
気に食わないからエロ漫画規制したいというものが
表現規制しますといっても
それで結果どうなろうと非難する社会的根拠がありません。
二次規制で現実の犯罪が増えようと文化が一つ潰れようと
多くの人が生活を奪われようと
それを非難する客観的根拠がありません。
どんなやってはいけない理由を並べようと
それが事実だろうと「だから何?私たちは規制したいんだ。
政治家への影響力と数の暴力で勝負をつけようか」で終わりです。
放火魔があなたの家に火をつけて
あなたの家族も家も焼かれたとしたら
あなたは激怒するでしょうが
それを社会的に非難する根拠はなく
警察が放火魔を逮捕する理由もありません。
そもそも警察や法律が存在する必要すら不明瞭です。
「あなたには都合悪かったね。でも社会からしたら
放火魔の放火が正しいとか間違ってるとか判断できないんだよ。
なぜなら社会の目的そのものが人それぞれだから」
ということになります。
「目的が定まっていない」ということは
「正しい」「間違い」の判断基準が存在せず
「どのようなものであろうと目的次第で認められ」
「全ての主張も批判もそいつがそう思ってるだけ」で
「それが通るかどうかは結果の正当性ではなく数の暴力や物理的暴力のみ」ということです。
いわゆる無法地帯ですね。
これはそもそも社会や国家と言えるでしょうか。
こんな社会はおかしいですか?
おかしいですね。
これを「おかしい」と判断するあなたの基準
世の中の人の基準は何か?
「何の目的に照らして」おかしいと判断しているのか?
言葉にすると「民の生存と発展」です。
社会契約論だとかどの国だからどうだとか
個々人の気分がどうだとか全く関係ない
「群れというシステム自体」の目的です。
ちなみに犬やサルの「群れ」でさえ
この目的はしっかり持って活動しています。
持っていないなら「群れそのもの」が成り立たないからです
つまりこれを否定したがる奴は
「群れを作る生き物として」歪んでる。
もしくは「その群れに対する敵対者」ということです。
【価値観の違いは対等であり尊重されなければならない】
これも上記と同じです。
価値観の違いとは「目的の違い」であるため
これを全て対等とすると
この社会において誰にも何事をも判断できなくなります。
あなたが殺されたとしても
あなたの命よりあなたの金を奪うことが大事だった殺人犯の価値観は
尊重されなければならないので逮捕もなにもできません。
またそれを止める社会的根拠がゼロです。
これもいわゆる「無法地帯」ですね。
これではいけない?
殺人犯の価値観は尊重しないのに「価値観の違いは対等であり尊重せよ」と言っているなら
それはつまり「私に都合の悪い価値観は尊重しなくていい。
社会的に否定されるはずのゆがんだ私の価値観は対等な価値観の違いなので尊重せよ」と
言っているだけの詐欺師です。
【目的は不明瞭でよく状況は把握せずともよく結果は想定せずともいい】
もう説明しなくてもいいよね。これ。
まぁ一言だけ言っておくと無法地帯以前のカオスになります。
目的と結果が一致しない意味不明な活動があふれかえるだけですね。
さて。
これらのことはいつの時代のどの国だろうと
人間以外の犬やサルの群れだろうと
「必然」として行われる要素です。
これが否定されたときは「群れそのもの」が崩壊します。
個人的主観も価値観も関係のない
「「群れ」「国家」「社会」が「そもそも成立するため」の要素」だからです。
この社会で議論される「あらゆることの大前提」であり
ここを否定したらもうこの社会そのものが成立しません。
またこの大前提を否定した者とは何の議論も成り立ちません。
「判断の根拠そのもの」を否定しているわけですから
なにも判断できずなにも考えることができない人間ということです。
さて、ここでこの
「判断基準の大前提が否定され不明瞭になった状態」
というのは「一体誰にとって都合がいいのか?」と考えてみましょう。
一般大多数の人にとっては大変不都合です。
上記のことはもちろん判断基準そのものが失われ
全ての判断が迷走することになります。
上記のような主張がまかり通った結果は
「誰にも何もわからない」ことになります。
この「誰にも何もわからない状態」が都合がいい人間。
それは誰でしょう。
「詐欺師」「嘘つき」です。
判断基準を明確にされると彼らの「詐欺」は
「目的と結果の想定とその検証」によってあっという間にばれてしまいます。
しかし「国家目的さえ不明瞭で誰にも何も分からない」
「主張が違っても価値観の違いとして尊重される」
「目的も状況も結果も考えない」社会であれば
詐欺師は大いにはびこることが可能です。
「目的が不明瞭で結局わからない状態」は「詐欺師が詐欺師ではないことになる状態」
「価値観の違いがなんであれ尊重される状態」は「社会的に排除されるべき詐欺師だけが尊重される状態」
「目的や結果を明確化しない状態」は「詐欺師が見抜かれない状態」
なわけですね。
さてこういう大前提となる判断基準そのものを否定する連中というのは
自ら「何もわからないことにしていながら」
「それにもかかわらず何事かを強く主張」しています。
つまり「詐欺師」です。
「歪んだ主張を通したい、認めさせたいから」
「誰にも何もわからないように判断基準そのものを否定し」
にもかかわらず「これが正しいと主張する」わけですね。
社会の論理の大前提を否定したがる者、
それを何度説明されても「わかりたくない者」とは
社会的に間違った主張と価値観をごまかして社会に受け入れてほしい「詐欺師」です。
「詐欺師」の自覚がなく
さらに「普段自分が当然としている判断の大前提」を説明されても「わかりたくない」のであれば
それは本当に低能でゆがんだ「無自覚な詐欺師の協力者」です。
どのくらい低能かというと
「判断基準そのものを否定し何もわからないと自ら主張して居ながら
これが正しいお前は間違ってると主張でき
お前の価値観は尊重しないから私の価値観を尊重せよと真顔で主張し
それをごまかすために本題と関係ない話と曲解と決めつけと誤魔化ししか出てこない上に
その状態を改善することが決して不可能」というちょっと会話不可能なレベルです。