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否定によって否定が無価値になる事柄ってのがあんのよ
「我思うゆえに我あり」という有名な言葉がありますが
これは
「この世の疑いうるものすべてを疑いつくしたとしても
「自分」が存在するのか?という疑いだけは
疑うことによって疑っている自分の存在が証明されてしまうため
疑問の余地がない。だからこれを哲学上疑問の余地のない真理として定める」という哲学上の話です。
こういう「疑うことによって逆に証明される」ような
「否定することによって否定が意味をなさなくなる」
事柄というのがこの世にはあります。
例えば国家目的「民の生存と発展」。
これを否定するということは
「別の目的を持っていてそのためならその国の民が生存せずとも発展せずともよい」ということであり
そういう目的を持ちながら国政にかかわろうとする存在を「その国の敵」と言います。
そして「敵」にはその国の政治に参加する資格自体がありません。
つまり国家目的「民の生存と発展」を否定した瞬間
その人物はその国の敵でありその国の政治について語る資格自体を失います。
具体的には
「いや日本の国家目的は世界平和である!!民の生存と発展では無い!!」
という人物がいたならそいつは世界平和を実現するためなら
日本国民がどれだけ死のうと不幸になろうとかまわない人物ということであり
まさしく日本国民の「敵」というわけですね。
なお「日本の国家目的は民の生存と発展である!!そのための「手段」として世界平和の実現を目指す!!」
なら構いません。
そしてこの場合「手段」なので
世界平和を目指すのが日本国民の不利益になるようなら
世界平和を目指すという「手段」を撤回する必要があります。
もし不利益になっても撤回しないのであれば
それは「日本の国家目的は世界平和である!!民の生存と発展ではない!!」
と本当は思ってる詐欺師だということです。
次に「「価値観の違いは対等であり尊重するべき」というのは嘘。
事実、強盗も放火魔も人がより多く死ぬ政策も人がより多く救われる政策も
対等として尊重されはしないし対等として尊重されれば社会が崩壊する。
民の生存と発展という社会の目的に添う価値観は社会的に正しい価値観であり
それに反する価値観は社会的に間違った価値観である。
対等に尊重していいのは社会に重大な結果をもたらさない個人的レベルの価値観のみである」。
さてこれに反論するとどうなるかというと
「社会に害をなす価値観を
対等ではなく尊重しないという
お前の価値観は対等ではないし尊重しない。
価値観の違いは対等であり尊重するべき」
というとても愉快なことになります。
これ実は平等主義や寛容主義の根源的矛盾で
「価値観の違いを認め合うべき」と主張した瞬間
「価値観の違いを認めないという価値観」を認めなければならなくなるんですね。
つまり
「お前の価値観の違いを認めない!価値観の違いを認めろ!!」というかわいそうな子になるか
「価値観の違いを認めないという価値観を認めるので何も言えないしできない」かどっちかです。
そして「何かをするときは目的に対し前提を把握し目的の結果をもたらす手段を考案すべき」「目的に対しその結果をもたらす手段を「正しい」といいその結果をもたらさない物を「間違っている」という」
コイツを否定すると
特に政治など重大な事柄において否定するとその人は
「国家目的も不明瞭で前提もわからないままに結果も考えず手段を行ってよい。
正しいも間違っているも存在しないかその時の気分で適当に定めてよい」と主張することになります。
どこか一部の否定でも同じことです。
「目的は不明瞭でよい」「状況も把握しなくてよい」「結果は考えなくてよい」
「正しい」は存在しない「間違っている」も存在しないあるいは「その人が信じたものが正しい間違いの定義である」
否定した瞬間頭がかわいそうな子決定です。
なんせ自分が日常的に普段やっていて
自分個人のレベルでさえこれに外れたことはしないというのに
より重大な国政の面では否定して見せてるわけですから。
その人が普段
なぜそうするのかもわからないままに排泄するために台所の流し台に座り
料理をするためにトイレに入り買い物に行くために家の中をぐるぐる徘徊して
台所の異臭に苦しめられ不潔な食事を食い食材を買えずに飢え
しかし「いや価値観の違いだからこれも正しいんだ」と主張して居ようと構いませんが(関わりたくはありませんが)
皆の生活や命がかかってる国政の場においてそういう真似を正しいと主張すると
みんなが迷惑するのでダメです。
これは
「この世の疑いうるものすべてを疑いつくしたとしても
「自分」が存在するのか?という疑いだけは
疑うことによって疑っている自分の存在が証明されてしまうため
疑問の余地がない。だからこれを哲学上疑問の余地のない真理として定める」という哲学上の話です。
こういう「疑うことによって逆に証明される」ような
「否定することによって否定が意味をなさなくなる」
事柄というのがこの世にはあります。
例えば国家目的「民の生存と発展」。
これを否定するということは
「別の目的を持っていてそのためならその国の民が生存せずとも発展せずともよい」ということであり
そういう目的を持ちながら国政にかかわろうとする存在を「その国の敵」と言います。
そして「敵」にはその国の政治に参加する資格自体がありません。
つまり国家目的「民の生存と発展」を否定した瞬間
その人物はその国の敵でありその国の政治について語る資格自体を失います。
具体的には
「いや日本の国家目的は世界平和である!!民の生存と発展では無い!!」
という人物がいたならそいつは世界平和を実現するためなら
日本国民がどれだけ死のうと不幸になろうとかまわない人物ということであり
まさしく日本国民の「敵」というわけですね。
なお「日本の国家目的は民の生存と発展である!!そのための「手段」として世界平和の実現を目指す!!」
なら構いません。
そしてこの場合「手段」なので
世界平和を目指すのが日本国民の不利益になるようなら
世界平和を目指すという「手段」を撤回する必要があります。
もし不利益になっても撤回しないのであれば
それは「日本の国家目的は世界平和である!!民の生存と発展ではない!!」
と本当は思ってる詐欺師だということです。
次に「「価値観の違いは対等であり尊重するべき」というのは嘘。
事実、強盗も放火魔も人がより多く死ぬ政策も人がより多く救われる政策も
対等として尊重されはしないし対等として尊重されれば社会が崩壊する。
民の生存と発展という社会の目的に添う価値観は社会的に正しい価値観であり
それに反する価値観は社会的に間違った価値観である。
対等に尊重していいのは社会に重大な結果をもたらさない個人的レベルの価値観のみである」。
さてこれに反論するとどうなるかというと
「社会に害をなす価値観を
対等ではなく尊重しないという
お前の価値観は対等ではないし尊重しない。
価値観の違いは対等であり尊重するべき」
というとても愉快なことになります。
これ実は平等主義や寛容主義の根源的矛盾で
「価値観の違いを認め合うべき」と主張した瞬間
「価値観の違いを認めないという価値観」を認めなければならなくなるんですね。
つまり
「お前の価値観の違いを認めない!価値観の違いを認めろ!!」というかわいそうな子になるか
「価値観の違いを認めないという価値観を認めるので何も言えないしできない」かどっちかです。
そして「何かをするときは目的に対し前提を把握し目的の結果をもたらす手段を考案すべき」「目的に対しその結果をもたらす手段を「正しい」といいその結果をもたらさない物を「間違っている」という」
コイツを否定すると
特に政治など重大な事柄において否定するとその人は
「国家目的も不明瞭で前提もわからないままに結果も考えず手段を行ってよい。
正しいも間違っているも存在しないかその時の気分で適当に定めてよい」と主張することになります。
どこか一部の否定でも同じことです。
「目的は不明瞭でよい」「状況も把握しなくてよい」「結果は考えなくてよい」
「正しい」は存在しない「間違っている」も存在しないあるいは「その人が信じたものが正しい間違いの定義である」
否定した瞬間頭がかわいそうな子決定です。
なんせ自分が日常的に普段やっていて
自分個人のレベルでさえこれに外れたことはしないというのに
より重大な国政の面では否定して見せてるわけですから。
その人が普段
なぜそうするのかもわからないままに排泄するために台所の流し台に座り
料理をするためにトイレに入り買い物に行くために家の中をぐるぐる徘徊して
台所の異臭に苦しめられ不潔な食事を食い食材を買えずに飢え
しかし「いや価値観の違いだからこれも正しいんだ」と主張して居ようと構いませんが(関わりたくはありませんが)
皆の生活や命がかかってる国政の場においてそういう真似を正しいと主張すると
みんなが迷惑するのでダメです。
「考え方は人それぞれ」って簡単に使っていい言葉じゃないです。
前回の追記として補足をしましょう。
前回
「何が正しいか判断する」ためには
「目的」「状況」「手段」「結果」の4つが必要だと書きました。
どれが欠けてもわかりませんし
逆にかけているものを把握すれば「分かり」ます。
さて、しかしこの世の中結果が想定できることばかりではありません。
本当にいくら情報を集めても結果を想定しようのない事態、
本当に情報を得られない事態もたくさん存在します。
(・・・念のため言っとくけど「だから情報収集してもしなくても一緒」って話じゃないからね。
情報収集で分かる分は全部分かった「その上で」「どうしても本当に分かりえない部分」の話だからね。)
例えば戦争で
「敵の兵力は調べた限りではこうだった
しかし状況が詳細な偵察を許さず
未知の敵兵力が存在するかもしれない。
しかし今から詳細に偵察しようとしたら機を逃す
さてどうするか?」
これは「状況」が正確には分かっていません。
なので「これが正解」というものを断定できません。
もしかしたら偵察で得た情報が敵のすべてかもしれませんし
偵察から漏れた圧倒的兵力が隠れてるかも知れません。
偵察で得た情報が敵のすべてなら予定どおり攻撃しなければせっかくの機を逃がしてしまいます。
かといって調べから漏れた敵の兵力が圧倒的だったら全滅させられるかもしれません。
ではここから先は「正解」がないので
何も判断しないのか?
あるいは人それぞれだと言って
バラバラに行動すべきなのか?
違います。
ここから先は「確率」「ギャンブル」の話になるだけです。
「目的」に対しその「結果」を出せる確率が最も高い方法が「次善解」となります。
「偵察の結果全ては把握できなかった。
しかしここは敵にとってさほど重要な拠点ではない。
圧倒的兵力が存在している可能性はゼロではないが
限りなく低い。」
となれば
「予定通り攻撃を行う。
ただし偵察が完璧ではないので
その点を考慮し未知の兵力にも
対応できるよう作戦を変更する。」
が「次善解」となります。
「敵がいっぱいいる可能性が
ゼロではないから見逃して逃げる」
は「悪手」です。
なぜか?
もしこれですべての予想を裏切って
たまたま敵の主力部隊でも居た日にゃあ
「次善解」では全滅しかねません。
「悪手」で生き残ることになるでしょう。
それは「分かりえない」のに
何故「未知の兵力に備えて攻撃」が次善解で
「可能性がゼロではないから逃げる」のは悪手なのか?
それは「目的」に対し「その結果を出せる可能性が著しく低くなる」からです。
この例の場合軍隊の目的は勝利なのに
可能性がゼロではないからという理由で毎回逃げ出していては
軍の目的を達成できる可能性が著しく低くなります。
それではたとえ今回たまたま逃げ出すのが正解であったとしても
全体で見て負けてしまう可能性が極めて高くなります。
それでは本末転倒。
「その手段」では「目的を達成できる可能性が極めて低い」
だから「目的を達成できる可能性の高い」
「その上で悪い結果も想定しそれにも対処する」
「上記の判断が次善解」となるわけですね。
もっと分かりやすく身近な例で行くと
「火事で3階にあなたが取り残されている。
消防隊員が水をかけながらはしご車で救助するのと
ガソリンを大量に投入してその爆風で
飛び降りる度胸のないあなたをいい感じに浮き上がらせ
たまたま植え込みに落とすことで無傷で助けるのとどちらを選択すべきか?」
消防隊員がはしご車で登っていく間に
ガス爆発が発生しあなたが吹き飛んでしまう可能性はゼロではありません。
水に反応する危険な薬物が隣の部屋にたまたま存在している可能性もゼロではありません。
ガソリン大量投入によって爆発を発生させ
その燃焼ガスがあなたをたまたまいい感じに浮き上がらせ
たまたま茂みに落ち無傷で救出、その直後に部屋で大爆発、
消防隊員がはしご車で救助してたら間に合わなかった!!
ガソリンをぶち込んだ人ありがとう!!となる可能性もゼロではありません。
神ならざる身にどちらが「正解」なのかは分かりません。
で、どちらをえらびますか?
もちろん消防隊員に助けてほしいですね。
なぜなら「その方が助かる可能性が高いから」
「助かる」という「目的」に対し「その結果をもたらす可能性が高い」「次善解だから」です。
ガソリンぶち込もうとするやつなんか
とりあえず警察にお縄になっとけって感じです。
纏めると
「正解」を判断するのに必要なのは
「目的」「状況」「手段」「結果」
分からない場合にはその4つを最大限把握。
「目的」を明確にし情報収集して「状況」を把握し
「手段」を考え「結果」を想定
その上でなお「分かりえない場合」には
「より目的の結果をもたらす可能性が高い方」を選択し
その上で可能な限り別の可能性にも備える。
ここまでは「目的に対する必然」です。
本当に「考え方は人それぞれ」になってくるのは
「この先のレベル」です。
「知りうる情報を調べつくしたうえでなお分かりえない事態」において
「確率が高いものをすべて選択し」
「想定できる結果を網羅し可能な限り対処し」
その上でもなお「本当にわからない物に対してどう対応するか。」
ここまで突き詰めてはじめて「考え方は人それぞれ」という言葉が正当になります。
本当に確率や傾向すら分かりえないものは
もう人知の及ばない純然たるギャンブルだからです。
目的を明確化し状況全体を把握すべく努め
把握したうえで手段と結果を想定し
その上でわからない物にも複数の結果を想定して
可能な限り備え対処し
それでも本当に分からない物に対してのみ「考え方は人それぞれ」という言葉が使えます。
状況も調べず結果も想定せず
目的すらも不明瞭な状態で
自分の気分に説明をつけただけの「答え」と
目的に対し状況を把握し結果を想定して出てきた「答え」を
「考え方は人それぞれ」なんて言葉で対等にするのは
非常に危険な行為ですのでやめましょう。
なぜならそれがまかり通った結果は
「本当に誰にも何もわからなくなるから」です。
具体的には今現在みたいに。
「数千年前の為政者たちでさえできていた
生活の延長に過ぎない政経軍事」が
今やまるで「神学論争扱い」です。
そして誰にも何もわからなくなって
「誰を信じる」だの「そんな気がする」だの
その場の気分とノリで票を動かした結果は前の民主党の大勝の様な政治の迷走と
国民への被害という形で我々自身に帰ってきます。
さらにこの「考え方は人それぞれ~」「一つの考え方として~」系の悪いところは
「非常に感染力が強い」ということです。
真面目に政経軍事考えようと思ったら
それこそ年単位であちこち情報収集して状況把握に努め
結果を想定しその上で判断しなければなりません。
前回「2年ロムれ」といいましたが
討論ばっかあちこち2年ロムるのってなんだかんだ言って大分労力や気力がかかります。
(だから気軽に気楽に楽しんでやるのが大事なんですけど。)
その点「考え方は人それぞれ~」はそんな労力とは無縁です。
「考え方は人それぞれなのです
答えを出す必要さえありません。
なぜなら答えは「人それぞれ」でむしろ
「答え」を主張するのは傲慢、思い上がり。
答えを出さないあなたは冷静で謙虚で
慎重で公正に見ている人なのです。
「考え方は人それぞれ」
「一つの考え方として尊重する」
「君の思想は分かった」etcetc・・・
こんな幼稚園児でも述べられる文字列を
並べるだけであなたも今すぐ
「何もわからない人」から
「高みから公正に見ている立派な人」に
なれちゃうんですよー。」
という麻薬みたいな思想です。
しかしその「怠惰」と「ちょっとしたかっこつけ」の対価は恐ろしく高くつきます。
正解も間違いも対等にして正解を埋もれさせ
「誰にも何もわからないようにすることで公正さを気取っている」わけですから。
「国家そのものの迷走とそれによる害」という形で対価を支払うことになるわけですね。
そもそも「考え方の違い」とは具体的に何でなぜ発生したのか。
上記のとおり「考え方の違い」は「分からない物に対して発生する」ものです。
「自宅が火事だ。どうすればいい?」のように
目的も状況も手段も結果も分かってる物に対して「考え方の違い」は発生しません。
そろって消防車を呼ぶだの水をかけるだの
「目的と状況と結果が一致した答え」だけが返ってきます。
状況が分からない、結果が想定できない、
だから主観や経験則くらいしか判断材料がない。
だから「考え方の違い」で「バラバラな答え」が出てくるのです。
日本国民が一有権者としてやるべきことは
公正な人を気取る詐欺ではありません。
情報を収集し状況を把握し結果を想定する
という「正当な努力」です。
おまけ
なお、この「考え方の違い」を
「目的」の部分に持ってくる人がいます。
「いや!!日本国の国家目的は○○だ!!
ここに考えかたの違いがあるのだ!!」ってかんじで。
目的自体が違うのは「考え方の違い」じゃなく「価値観の違い」です。
そして国家目的「国民の生存と発展」に異を唱えるものとは
その国の「敵」です。
中立でも無関係でもありません。
なんせ「○○国民が生存しなくても発展しなくてもいい。
俺には他の目的がありそれを実現するために俺は○○国の政治に関わり
その目的に異を唱える。」わけですから。
そういう存在を「敵」といいます。
(ちなみに本当に無関係や中立な人は「○○国民が生存しなくても発展しなくてもいい」けど
それと同時に○○国の政治に口出しませんしその目的に異も唱えません。
○○国民と呼べるのは「○○国の自分たちが生存し発展することに同意できる者」だけです。)
「国家目的=民の生存と発展」とは
「俺はそんな目的を持っていない」と否定した瞬間
「そいつがそこの国民ではない」ことになってしまう
否定によって証明されちゃう系の目的なんですねー。
前回
「何が正しいか判断する」ためには
「目的」「状況」「手段」「結果」の4つが必要だと書きました。
どれが欠けてもわかりませんし
逆にかけているものを把握すれば「分かり」ます。
さて、しかしこの世の中結果が想定できることばかりではありません。
本当にいくら情報を集めても結果を想定しようのない事態、
本当に情報を得られない事態もたくさん存在します。
(・・・念のため言っとくけど「だから情報収集してもしなくても一緒」って話じゃないからね。
情報収集で分かる分は全部分かった「その上で」「どうしても本当に分かりえない部分」の話だからね。)
例えば戦争で
「敵の兵力は調べた限りではこうだった
しかし状況が詳細な偵察を許さず
未知の敵兵力が存在するかもしれない。
しかし今から詳細に偵察しようとしたら機を逃す
さてどうするか?」
これは「状況」が正確には分かっていません。
なので「これが正解」というものを断定できません。
もしかしたら偵察で得た情報が敵のすべてかもしれませんし
偵察から漏れた圧倒的兵力が隠れてるかも知れません。
偵察で得た情報が敵のすべてなら予定どおり攻撃しなければせっかくの機を逃がしてしまいます。
かといって調べから漏れた敵の兵力が圧倒的だったら全滅させられるかもしれません。
ではここから先は「正解」がないので
何も判断しないのか?
あるいは人それぞれだと言って
バラバラに行動すべきなのか?
違います。
ここから先は「確率」「ギャンブル」の話になるだけです。
「目的」に対しその「結果」を出せる確率が最も高い方法が「次善解」となります。
「偵察の結果全ては把握できなかった。
しかしここは敵にとってさほど重要な拠点ではない。
圧倒的兵力が存在している可能性はゼロではないが
限りなく低い。」
となれば
「予定通り攻撃を行う。
ただし偵察が完璧ではないので
その点を考慮し未知の兵力にも
対応できるよう作戦を変更する。」
が「次善解」となります。
「敵がいっぱいいる可能性が
ゼロではないから見逃して逃げる」
は「悪手」です。
なぜか?
もしこれですべての予想を裏切って
たまたま敵の主力部隊でも居た日にゃあ
「次善解」では全滅しかねません。
「悪手」で生き残ることになるでしょう。
それは「分かりえない」のに
何故「未知の兵力に備えて攻撃」が次善解で
「可能性がゼロではないから逃げる」のは悪手なのか?
それは「目的」に対し「その結果を出せる可能性が著しく低くなる」からです。
この例の場合軍隊の目的は勝利なのに
可能性がゼロではないからという理由で毎回逃げ出していては
軍の目的を達成できる可能性が著しく低くなります。
それではたとえ今回たまたま逃げ出すのが正解であったとしても
全体で見て負けてしまう可能性が極めて高くなります。
それでは本末転倒。
「その手段」では「目的を達成できる可能性が極めて低い」
だから「目的を達成できる可能性の高い」
「その上で悪い結果も想定しそれにも対処する」
「上記の判断が次善解」となるわけですね。
もっと分かりやすく身近な例で行くと
「火事で3階にあなたが取り残されている。
消防隊員が水をかけながらはしご車で救助するのと
ガソリンを大量に投入してその爆風で
飛び降りる度胸のないあなたをいい感じに浮き上がらせ
たまたま植え込みに落とすことで無傷で助けるのとどちらを選択すべきか?」
消防隊員がはしご車で登っていく間に
ガス爆発が発生しあなたが吹き飛んでしまう可能性はゼロではありません。
水に反応する危険な薬物が隣の部屋にたまたま存在している可能性もゼロではありません。
ガソリン大量投入によって爆発を発生させ
その燃焼ガスがあなたをたまたまいい感じに浮き上がらせ
たまたま茂みに落ち無傷で救出、その直後に部屋で大爆発、
消防隊員がはしご車で救助してたら間に合わなかった!!
ガソリンをぶち込んだ人ありがとう!!となる可能性もゼロではありません。
神ならざる身にどちらが「正解」なのかは分かりません。
で、どちらをえらびますか?
もちろん消防隊員に助けてほしいですね。
なぜなら「その方が助かる可能性が高いから」
「助かる」という「目的」に対し「その結果をもたらす可能性が高い」「次善解だから」です。
ガソリンぶち込もうとするやつなんか
とりあえず警察にお縄になっとけって感じです。
纏めると
「正解」を判断するのに必要なのは
「目的」「状況」「手段」「結果」
分からない場合にはその4つを最大限把握。
「目的」を明確にし情報収集して「状況」を把握し
「手段」を考え「結果」を想定
その上でなお「分かりえない場合」には
「より目的の結果をもたらす可能性が高い方」を選択し
その上で可能な限り別の可能性にも備える。
ここまでは「目的に対する必然」です。
本当に「考え方は人それぞれ」になってくるのは
「この先のレベル」です。
「知りうる情報を調べつくしたうえでなお分かりえない事態」において
「確率が高いものをすべて選択し」
「想定できる結果を網羅し可能な限り対処し」
その上でもなお「本当にわからない物に対してどう対応するか。」
ここまで突き詰めてはじめて「考え方は人それぞれ」という言葉が正当になります。
本当に確率や傾向すら分かりえないものは
もう人知の及ばない純然たるギャンブルだからです。
目的を明確化し状況全体を把握すべく努め
把握したうえで手段と結果を想定し
その上でわからない物にも複数の結果を想定して
可能な限り備え対処し
それでも本当に分からない物に対してのみ「考え方は人それぞれ」という言葉が使えます。
状況も調べず結果も想定せず
目的すらも不明瞭な状態で
自分の気分に説明をつけただけの「答え」と
目的に対し状況を把握し結果を想定して出てきた「答え」を
「考え方は人それぞれ」なんて言葉で対等にするのは
非常に危険な行為ですのでやめましょう。
なぜならそれがまかり通った結果は
「本当に誰にも何もわからなくなるから」です。
具体的には今現在みたいに。
「数千年前の為政者たちでさえできていた
生活の延長に過ぎない政経軍事」が
今やまるで「神学論争扱い」です。
そして誰にも何もわからなくなって
「誰を信じる」だの「そんな気がする」だの
その場の気分とノリで票を動かした結果は前の民主党の大勝の様な政治の迷走と
国民への被害という形で我々自身に帰ってきます。
さらにこの「考え方は人それぞれ~」「一つの考え方として~」系の悪いところは
「非常に感染力が強い」ということです。
真面目に政経軍事考えようと思ったら
それこそ年単位であちこち情報収集して状況把握に努め
結果を想定しその上で判断しなければなりません。
前回「2年ロムれ」といいましたが
討論ばっかあちこち2年ロムるのってなんだかんだ言って大分労力や気力がかかります。
(だから気軽に気楽に楽しんでやるのが大事なんですけど。)
その点「考え方は人それぞれ~」はそんな労力とは無縁です。
「考え方は人それぞれなのです
答えを出す必要さえありません。
なぜなら答えは「人それぞれ」でむしろ
「答え」を主張するのは傲慢、思い上がり。
答えを出さないあなたは冷静で謙虚で
慎重で公正に見ている人なのです。
「考え方は人それぞれ」
「一つの考え方として尊重する」
「君の思想は分かった」etcetc・・・
こんな幼稚園児でも述べられる文字列を
並べるだけであなたも今すぐ
「何もわからない人」から
「高みから公正に見ている立派な人」に
なれちゃうんですよー。」
という麻薬みたいな思想です。
しかしその「怠惰」と「ちょっとしたかっこつけ」の対価は恐ろしく高くつきます。
正解も間違いも対等にして正解を埋もれさせ
「誰にも何もわからないようにすることで公正さを気取っている」わけですから。
「国家そのものの迷走とそれによる害」という形で対価を支払うことになるわけですね。
そもそも「考え方の違い」とは具体的に何でなぜ発生したのか。
上記のとおり「考え方の違い」は「分からない物に対して発生する」ものです。
「自宅が火事だ。どうすればいい?」のように
目的も状況も手段も結果も分かってる物に対して「考え方の違い」は発生しません。
そろって消防車を呼ぶだの水をかけるだの
「目的と状況と結果が一致した答え」だけが返ってきます。
状況が分からない、結果が想定できない、
だから主観や経験則くらいしか判断材料がない。
だから「考え方の違い」で「バラバラな答え」が出てくるのです。
日本国民が一有権者としてやるべきことは
公正な人を気取る詐欺ではありません。
情報を収集し状況を把握し結果を想定する
という「正当な努力」です。
おまけ
なお、この「考え方の違い」を
「目的」の部分に持ってくる人がいます。
「いや!!日本国の国家目的は○○だ!!
ここに考えかたの違いがあるのだ!!」ってかんじで。
目的自体が違うのは「考え方の違い」じゃなく「価値観の違い」です。
そして国家目的「国民の生存と発展」に異を唱えるものとは
その国の「敵」です。
中立でも無関係でもありません。
なんせ「○○国民が生存しなくても発展しなくてもいい。
俺には他の目的がありそれを実現するために俺は○○国の政治に関わり
その目的に異を唱える。」わけですから。
そういう存在を「敵」といいます。
(ちなみに本当に無関係や中立な人は「○○国民が生存しなくても発展しなくてもいい」けど
それと同時に○○国の政治に口出しませんしその目的に異も唱えません。
○○国民と呼べるのは「○○国の自分たちが生存し発展することに同意できる者」だけです。)
「国家目的=民の生存と発展」とは
「俺はそんな目的を持っていない」と否定した瞬間
「そいつがそこの国民ではない」ことになってしまう
否定によって証明されちゃう系の目的なんですねー。
久々に政治関係の話でもするか
要望があったのでたまには政治系の話でもするか。
超基本的な話から。
当たり前すぎるほど当たり前の話をしますがこいつは極めて重要ですので
そのつもりで読んでください。
まずイメージしてください。
あなたの目の前に「焚火」があります。
キャンプなどでやる「焚火」です。
さてこの焚火に対して何をするのが正しいか答えてください。
何をするかはいろいろ考えられます。
水をかける。まきを投入しうちわで煽ぐ。何もしないで見ている。ガソリンを投入するなどなど。
さて、どれが正しいでしょう。
・・・・・・・・・・・・
そうですね。答えられません。
なぜならこの焚火は何をするための焚火なのかがわからないからです。
これから料理をするのに水をかけてはいけませんし
焚火の用が済んで去るのであれば水をかけて消火すべきです。
これは
「状況がわかり手段が示され結果が想定できても
「目的」がわからなければ何が正しいか判断できない」ことを意味します。
では目的を定めてみましょう。
この焚火は「これから料理をするために使う焚火」です。
そして「料理をするにはやや火力不足」です。
さて何をするのが正しいでしょうか?
そうですね。まきを投入し団扇で煽って火力を強めるのが「正しい」です。
料理をするために焚火に水をかけるのは「間違い」です。
ではなぜ団扇で煽るのは正しく水をかけるのは間違いなのでしょうか。
そうです。
「目的」に対し「その手段が」「その結果をもたらす」から
「料理に必要な火力を得るためにまきを投入しうちわであおぐ」のは「正しく」
「目的」に対し「その手段が」「その結果をもたらさない」から
「料理に必要な火力を得るためにたき火に水をかける」のは「間違い」なのです。
さてそれでは今度は
「料理をするためにたき火をしているが火力が弱い。
さてどうするのが正しいか?」
という質問を
火のことを全く知らない幼稚園児に聞いてみたとしたらどうでしょう。
その幼稚園児は正しく回答できるでしょうか。
もちろん無理です。
火の事を知らないので水をかければどうなるか
うちわであおげばどうなるか分からないからです。
火を強くするための手段自体も想定できないでしょう。
結果が想定できない場合も
何が正しいか判断できないことがわかりました。
では「これから料理をする。
周囲の状況は秘密だ。
選択できる手段は水をかけると油をかけるだ。
さてどうするのが正しい?」ときたらどうか?
これも答えられません。
周囲の状況がわからないのですから
何も判断しようがありません。
水をかける油をかけると言われても
何にかけてそれでどうなるのかわかりません。
これにより極めて重大なことがわかります。
ちゃんと判断するためには
料理をするという「目的」
焚火の火が弱いという「状況」
団扇であおぐという「手段」
火力が強くなるという「結果の想定」
がすべてそろっていないとできないということです。
また
もし「何が正しいかわからない」とすれば
それは
「「目的」「状況」「手段」「結果」の
いずれかがわかっていないから」であり
「その4つのうち分からない部分を理解すればわかる」
ということがわかります。
つまりまとめると
「何が正しいか判断する」ためには
「目的」と「状況」と「手段」とその「結果」が
必要だということです
そしてそれ以外の何かは必要ではありません。
何が正しいか判断するために必要なのは「目的」「状況」「手段」「結果」の4つだけで
「感情論も観念論も精神論も倫理も主義も思想もその他もろもろも」一切いらないということです。
そして
「料理をするために料理用のたき火に水をかけ消火する」のが間違いであるように
目的と手段と結果が一致しない物を「間違っている」
「料理をするためにたき火を必要な火力になるまで煽る」が正しいように
目的と手段と結果が一致しているものを「正しい」ということがわかりました。
これが「人間が何が正しいか判断するための基準」です。
時代も国も個人の主観も関係なく「本当の意味で当たり前のこと」。
「考え方の違い」でも「価値観の違い」でもなく「論理的必然」です。
これはいつの時代のどの国であろうと「牛乳を買うために金銭の発生しない床に穴を掘って埋める作業を続ける」ものや
「ガソリンスタンドに行くためにその場で足踏みを続ける」ものは居ない、
居たらただの異常者であることからわかります。
誰だって牛乳を買いに行くなら穴を掘って埋めずにスーパーやコンビニに行きますし
ガソリンスタンドに行くのなら足踏みを続けるのではなくガソリンスタンドに行きます。
この「本当の意味で当たり前」ができていない状況を指して「異常事態」、
できない者を指して「愚か者」といいます。
さて以上を踏まえて
政治の話に戻りましょう。
現在日本では大人を含めて非常に多くの人が「政治がわからない」
「何が正しいかわからない」状態にあります。
そうです、
「目的」「状況」「手段」「結果」の
いずれかがわかっていないからです。
日本国の政治の「目的」は何か?
日本国がおかれた現在から将来までの内外の「状況」は?
それを解決するための「手段」は?
そしてそれを行った「結果」は?
これに答えられない、もしくは
極一部の事しか述べられない人は政治のことが「全くわかっていない」ということです。
逆にこれら4つの項目すべてを把握すれば
「料理をするために火力の弱いたき火をどうすればいいか」簡単に分かるように
きちんと「分かる」わけです。
じゃあ一番肝心なところだけ行きましょう。
「日本国の政治の目的は何か?」
「人それぞれ」ですか?
もし「人それぞれ」だとしたら
日本国の政治において「社会的に正しいこと」は一切存在しません。
全ての法案は等価値でありその「個人的目的」と「結果」が一致してさえいれば
それは「全て正しい」ことになります。
個人的に日本人を抹殺することが目的なものが首相になり
自衛隊を出動させて国民を虐殺し始めても
それが目的なのですから「正当」です。
そして基準となる「社会的正当性が存在しない」のですから
「話し合う」ことも何もありません。
なんせ「論理として正しければ結果がどうであろうと一つの価値観として等しく尊重する」のですから
話し合いで決着など絶対つきませんし同意にも至れません。
意見が分かれたら殺し合うか断絶するかしてバラバラになれということです。
日本国よ無数の小国家、あるいは完全な個人としてバラバラになれということです。
これは明らかにおかしいですね。
一体なんのために一億数千万人も集まって我々日本人は国家を形成しているのか?
国家を形成「できている」のか?
それは「一億数千万人が何か一つの明確な目的を持って集まっているから」です。
「国家目的が人それぞれである」が事実なら
そもそも日本国は形成されていないのです。
なんで人それぞれ本当にバラバラなのにわざわざ集まってんだよ?
家族単位でもグループ単位でも好きな奴らだけで集まって
それぞれ「国家」として活動すればいいじゃないかって話で
アナーキストがアナーキー気取る以前にそもそも日本という国家自体が最初から形成されません。
しかし日本国は厳然として存在しています。
よって「国家目的が人それぞれ」というのは明確に事実に反しており間違いです。
「国家目的」は「明確なもの」が「一つだけ」あるということです。
「一億数千万人が結集するほど明確かつ重要な目的がある」ということです。
それはなにか?
先ほどのアナーキーな「バラバラの世界」を想像してみると分かります。
数十人とかせいぜい数百人の「無数の仲良しグループ」だけが存在する
「かつて日本国だったもの」を想定してしましょう。
日本国も政府もそこにはありません。
日本列島に「無数のグループがばらばらに存在している」だけです。
となるとまず「政府が担っていたすべての事象」が消滅します。
警察も全体をまとめる法も軍隊も都市整備計画も道路も水道も電気もありません。
「警察を気取るグループ」は出てくるかもしれませんが
他のグループは別に従う理由もありません。
それぞれのグループがそれぞれの都合で好き勝手にふるまっても
それを罰する武力は存在しません。
存在したとしてもそれはしょせん一グループの勝手な都合にすぎませんし
一部グループの武力などたかが知れているので大したことはできません。
道路を敷こうにもいったい誰が何人でやるというんでしょう。
災害が起こったとして誰が助けるんでしょう。
諸外国が侵攻してきたとして一体どのグループに対抗できるんでしょう。
これただ小国家が無数に存在していた太古の時代に戻っただけです。
グループの能力も太古の時代レベルです。
現在の世界で起こりうる何事にも対抗できません。
さてそのバラバラな仲良しグループたちはその後どうするでしょう?
誰も何も止めることができない無法地帯でそのままで居続けるでしょうか?
いやそんなことはありません。
あったらグループが外敵や環境に各個撃破されて滅ぶだけです。
数が増えて大きなグループになれば他のグループに襲撃を受けることもなくなりますし
より大きな力で大きなことができます。
生き残るために、よりよい生活のために
グループがそれぞれさまざまな方法で吸収合併していくでしょう。
「バラバラな人々の群れ」ですが生き残るためには仕方ないです。
グループはそれぞれ吸収合併を繰り返し最終的には「諸外国に対抗する必要」に迫られ
全部一つのグループとして対抗しようとするでしょう。
「生き残るためには。よりよい生活をするためには。」仕方ないです。
やらなきゃ外国に対抗できないし死んじゃうもの。
さてこの「生き残るため、より良い生活をするための必然として」「一つになった」「仲良しグループ」。
コイツはいったいなんでしょう?
そうです。
これが「国家」であり現在の「日本国」です。
こういう流れを踏んで今の日本は存在するわけです。
じゃあその日本の国家目的は?
政治の目的は?
「その参加者である日本国民が
生き残ることとより良い生活をすること」です。
これで「目的」が明確になりました。
後は「状況」を把握し目的の結果をもたらす手段を行えばいいわけです。
つまりあとはあなたが残りの項目を調べて考えれば「政治がわかる」わけです。
「目的」日本国民の生存と発展
「状況」
日本全体と世界の状況全体を
大雑把でもいいので調べて把握すること。
そして現状のままだとどうなるか想定すること。
(「一部の事実」ではだめです。
関係する状況全体を把握して
初めて「状況が分かった」になります。)
「手段」目的と結果を念頭に置いて考えましょう
「結果」可能な限り正確に。
一切の主観や感情や気分を排し
物理学者のように想定しましょう
そしてその「結果」が「目的」に合致するかどうか
きっちり判断しましょう。
これを行えば政治は「普通にわかる」わけですね。
もう「誰を信じる」とか「だと思う」とかそんなぼんやりしたセリフとはおさらばです。
「価値観の違い」だとか「思想扱い」だとか「一つの考え方として」だとか
そんな
「何も分かってないだけのやつが
分かってないことをごまかして
高みから公平に見ている人を気取るための詐欺」ともお別れです。
自分で「調べて」自分で「考え」ましょう。
先に言っとくけど
分からないままに状況も調べず結果も想定せず
感覚と観念だけで自分で適当に決めた「答え」なんぞは全部捨ててください。
「答え」は状況を調べて結果を想定しなければ出てきません。
それをしていないのに出てきた「答え」や「傾向」や「方向性」を
「思想」とか「主義」とかいいます。
そういうものを持っている人間を「偏っている」とか「歪んでいる」とか言います。
(あなたの感覚に照らして偏っているものが「偏っている」のではありません
状況や結果と関係なく特定の方向性を持っているものを「偏っている」といいます。)
もしあなたが上の4つ、
日本国における「目的」「状況」「手段」「結果」がきちんと答えられないとしたら
あなたは日本国の政治について100%全く分かっていないということです。
状況すら分かってない間に出した「答え」なんてのは
たんに「私はこんな気分です」というのをまるで社会的正当性がある
事実であるかのように偽装しただけの詐欺です。
もちろんそういう「「答え」を守ること」は日本国の国家目的ではありませんので
「どうしたらこれまでの自分の答えが正しかったことにできるか」を考えるのではなく
きちんと「状況を把握して」「結果を考え」ましょう。
わからなかったお!!って人は
次の選挙まで時間はあるので毎日ちょっとずつでも情報収集していきましょうね。
追記
「全体把握」や「情報収集」がどこから手を付けていいやら
見当もつかないという意見をいただいたので追記です。
具体的な方法を説明します。
一切難しく考えなくていいから
とにかく幅広ーく
ネット上の討論を見て回ってください。
それだけでいいです。
いついつまでに「分かれ」とも「判断しろ」とも言いません。
ただひたすらいろんなジャンルのブログや掲示板やニュースサイトなどを見て回って
子供が昆虫の動きを観察するような目で「観察」してください。
何も主張する必要もなければ判断する必要もありません。
ボケーッとでもあちこち見てれば情報が蓄積されて
「勝手にわかってくる」ので無理にがんばってわかろうとしなくていいです。
軍事や経済、政治、世界情勢など様々なジャンルで
いろんな人がいろんなことを言っています。
そして往々にして討論が発生し「貴様は嘘つきだ」と主張し合っています。
それを暇なときにでも片っ端から見て回りましょう。
最初はちんぷんかんぷんでも構いません。
すぐに理解しなくても判断しなくてもいいです。
興味が湧いたジャンルからでも構いません。
とにかく幅広く「ただ見ましょう」。
それを1~2年も続けていればなんとなーく全体の傾向や起こっている事態が把握できてきます。
また嘘つきはボロが出るので「なんかこっち陣営怪しいな」「あ、コイツ嘘つきだ」
「これは嘘でこれは本当だな」ってのが
討論を長い間見ていると全くのド素人でもだんだんわかってきます。
要するに2年ロムれってだけの話です。
それで分からなければ3年4年でもあるいは10年でも構いません。
討論を長い間見ることによってどっちが嘘つきなのか分かり
それは詐欺師や主義者の排除につながります。
また討論はたがいに全力なので詳しいやつらが
情報を次々と繰り出してくれるため多種多様な情報が飛び込んできます。
詳しく知りたいことがあれば質問してみてもいいでしょう。
このようにな~~~んにも難しい話ではないので
今日からでもやってみましょう。
変に気張らず単なる「暇つぶしの習慣」にする。
討論という公開決闘を見て「正しいものを見出す楽しみ」を覚える。
「ごちゃごちゃ考えずにとにかく暇なときにぼけーっと見てみる」ことが大事です。
超基本的な話から。
当たり前すぎるほど当たり前の話をしますがこいつは極めて重要ですので
そのつもりで読んでください。
まずイメージしてください。
あなたの目の前に「焚火」があります。
キャンプなどでやる「焚火」です。
さてこの焚火に対して何をするのが正しいか答えてください。
何をするかはいろいろ考えられます。
水をかける。まきを投入しうちわで煽ぐ。何もしないで見ている。ガソリンを投入するなどなど。
さて、どれが正しいでしょう。
・・・・・・・・・・・・
そうですね。答えられません。
なぜならこの焚火は何をするための焚火なのかがわからないからです。
これから料理をするのに水をかけてはいけませんし
焚火の用が済んで去るのであれば水をかけて消火すべきです。
これは
「状況がわかり手段が示され結果が想定できても
「目的」がわからなければ何が正しいか判断できない」ことを意味します。
では目的を定めてみましょう。
この焚火は「これから料理をするために使う焚火」です。
そして「料理をするにはやや火力不足」です。
さて何をするのが正しいでしょうか?
そうですね。まきを投入し団扇で煽って火力を強めるのが「正しい」です。
料理をするために焚火に水をかけるのは「間違い」です。
ではなぜ団扇で煽るのは正しく水をかけるのは間違いなのでしょうか。
そうです。
「目的」に対し「その手段が」「その結果をもたらす」から
「料理に必要な火力を得るためにまきを投入しうちわであおぐ」のは「正しく」
「目的」に対し「その手段が」「その結果をもたらさない」から
「料理に必要な火力を得るためにたき火に水をかける」のは「間違い」なのです。
さてそれでは今度は
「料理をするためにたき火をしているが火力が弱い。
さてどうするのが正しいか?」
という質問を
火のことを全く知らない幼稚園児に聞いてみたとしたらどうでしょう。
その幼稚園児は正しく回答できるでしょうか。
もちろん無理です。
火の事を知らないので水をかければどうなるか
うちわであおげばどうなるか分からないからです。
火を強くするための手段自体も想定できないでしょう。
結果が想定できない場合も
何が正しいか判断できないことがわかりました。
では「これから料理をする。
周囲の状況は秘密だ。
選択できる手段は水をかけると油をかけるだ。
さてどうするのが正しい?」ときたらどうか?
これも答えられません。
周囲の状況がわからないのですから
何も判断しようがありません。
水をかける油をかけると言われても
何にかけてそれでどうなるのかわかりません。
これにより極めて重大なことがわかります。
ちゃんと判断するためには
料理をするという「目的」
焚火の火が弱いという「状況」
団扇であおぐという「手段」
火力が強くなるという「結果の想定」
がすべてそろっていないとできないということです。
また
もし「何が正しいかわからない」とすれば
それは
「「目的」「状況」「手段」「結果」の
いずれかがわかっていないから」であり
「その4つのうち分からない部分を理解すればわかる」
ということがわかります。
つまりまとめると
「何が正しいか判断する」ためには
「目的」と「状況」と「手段」とその「結果」が
必要だということです
そしてそれ以外の何かは必要ではありません。
何が正しいか判断するために必要なのは「目的」「状況」「手段」「結果」の4つだけで
「感情論も観念論も精神論も倫理も主義も思想もその他もろもろも」一切いらないということです。
そして
「料理をするために料理用のたき火に水をかけ消火する」のが間違いであるように
目的と手段と結果が一致しない物を「間違っている」
「料理をするためにたき火を必要な火力になるまで煽る」が正しいように
目的と手段と結果が一致しているものを「正しい」ということがわかりました。
これが「人間が何が正しいか判断するための基準」です。
時代も国も個人の主観も関係なく「本当の意味で当たり前のこと」。
「考え方の違い」でも「価値観の違い」でもなく「論理的必然」です。
これはいつの時代のどの国であろうと「牛乳を買うために金銭の発生しない床に穴を掘って埋める作業を続ける」ものや
「ガソリンスタンドに行くためにその場で足踏みを続ける」ものは居ない、
居たらただの異常者であることからわかります。
誰だって牛乳を買いに行くなら穴を掘って埋めずにスーパーやコンビニに行きますし
ガソリンスタンドに行くのなら足踏みを続けるのではなくガソリンスタンドに行きます。
この「本当の意味で当たり前」ができていない状況を指して「異常事態」、
できない者を指して「愚か者」といいます。
さて以上を踏まえて
政治の話に戻りましょう。
現在日本では大人を含めて非常に多くの人が「政治がわからない」
「何が正しいかわからない」状態にあります。
そうです、
「目的」「状況」「手段」「結果」の
いずれかがわかっていないからです。
日本国の政治の「目的」は何か?
日本国がおかれた現在から将来までの内外の「状況」は?
それを解決するための「手段」は?
そしてそれを行った「結果」は?
これに答えられない、もしくは
極一部の事しか述べられない人は政治のことが「全くわかっていない」ということです。
逆にこれら4つの項目すべてを把握すれば
「料理をするために火力の弱いたき火をどうすればいいか」簡単に分かるように
きちんと「分かる」わけです。
じゃあ一番肝心なところだけ行きましょう。
「日本国の政治の目的は何か?」
「人それぞれ」ですか?
もし「人それぞれ」だとしたら
日本国の政治において「社会的に正しいこと」は一切存在しません。
全ての法案は等価値でありその「個人的目的」と「結果」が一致してさえいれば
それは「全て正しい」ことになります。
個人的に日本人を抹殺することが目的なものが首相になり
自衛隊を出動させて国民を虐殺し始めても
それが目的なのですから「正当」です。
そして基準となる「社会的正当性が存在しない」のですから
「話し合う」ことも何もありません。
なんせ「論理として正しければ結果がどうであろうと一つの価値観として等しく尊重する」のですから
話し合いで決着など絶対つきませんし同意にも至れません。
意見が分かれたら殺し合うか断絶するかしてバラバラになれということです。
日本国よ無数の小国家、あるいは完全な個人としてバラバラになれということです。
これは明らかにおかしいですね。
一体なんのために一億数千万人も集まって我々日本人は国家を形成しているのか?
国家を形成「できている」のか?
それは「一億数千万人が何か一つの明確な目的を持って集まっているから」です。
「国家目的が人それぞれである」が事実なら
そもそも日本国は形成されていないのです。
なんで人それぞれ本当にバラバラなのにわざわざ集まってんだよ?
家族単位でもグループ単位でも好きな奴らだけで集まって
それぞれ「国家」として活動すればいいじゃないかって話で
アナーキストがアナーキー気取る以前にそもそも日本という国家自体が最初から形成されません。
しかし日本国は厳然として存在しています。
よって「国家目的が人それぞれ」というのは明確に事実に反しており間違いです。
「国家目的」は「明確なもの」が「一つだけ」あるということです。
「一億数千万人が結集するほど明確かつ重要な目的がある」ということです。
それはなにか?
先ほどのアナーキーな「バラバラの世界」を想像してみると分かります。
数十人とかせいぜい数百人の「無数の仲良しグループ」だけが存在する
「かつて日本国だったもの」を想定してしましょう。
日本国も政府もそこにはありません。
日本列島に「無数のグループがばらばらに存在している」だけです。
となるとまず「政府が担っていたすべての事象」が消滅します。
警察も全体をまとめる法も軍隊も都市整備計画も道路も水道も電気もありません。
「警察を気取るグループ」は出てくるかもしれませんが
他のグループは別に従う理由もありません。
それぞれのグループがそれぞれの都合で好き勝手にふるまっても
それを罰する武力は存在しません。
存在したとしてもそれはしょせん一グループの勝手な都合にすぎませんし
一部グループの武力などたかが知れているので大したことはできません。
道路を敷こうにもいったい誰が何人でやるというんでしょう。
災害が起こったとして誰が助けるんでしょう。
諸外国が侵攻してきたとして一体どのグループに対抗できるんでしょう。
これただ小国家が無数に存在していた太古の時代に戻っただけです。
グループの能力も太古の時代レベルです。
現在の世界で起こりうる何事にも対抗できません。
さてそのバラバラな仲良しグループたちはその後どうするでしょう?
誰も何も止めることができない無法地帯でそのままで居続けるでしょうか?
いやそんなことはありません。
あったらグループが外敵や環境に各個撃破されて滅ぶだけです。
数が増えて大きなグループになれば他のグループに襲撃を受けることもなくなりますし
より大きな力で大きなことができます。
生き残るために、よりよい生活のために
グループがそれぞれさまざまな方法で吸収合併していくでしょう。
「バラバラな人々の群れ」ですが生き残るためには仕方ないです。
グループはそれぞれ吸収合併を繰り返し最終的には「諸外国に対抗する必要」に迫られ
全部一つのグループとして対抗しようとするでしょう。
「生き残るためには。よりよい生活をするためには。」仕方ないです。
やらなきゃ外国に対抗できないし死んじゃうもの。
さてこの「生き残るため、より良い生活をするための必然として」「一つになった」「仲良しグループ」。
コイツはいったいなんでしょう?
そうです。
これが「国家」であり現在の「日本国」です。
こういう流れを踏んで今の日本は存在するわけです。
じゃあその日本の国家目的は?
政治の目的は?
「その参加者である日本国民が
生き残ることとより良い生活をすること」です。
これで「目的」が明確になりました。
後は「状況」を把握し目的の結果をもたらす手段を行えばいいわけです。
つまりあとはあなたが残りの項目を調べて考えれば「政治がわかる」わけです。
「目的」日本国民の生存と発展
「状況」
日本全体と世界の状況全体を
大雑把でもいいので調べて把握すること。
そして現状のままだとどうなるか想定すること。
(「一部の事実」ではだめです。
関係する状況全体を把握して
初めて「状況が分かった」になります。)
「手段」目的と結果を念頭に置いて考えましょう
「結果」可能な限り正確に。
一切の主観や感情や気分を排し
物理学者のように想定しましょう
そしてその「結果」が「目的」に合致するかどうか
きっちり判断しましょう。
これを行えば政治は「普通にわかる」わけですね。
もう「誰を信じる」とか「だと思う」とかそんなぼんやりしたセリフとはおさらばです。
「価値観の違い」だとか「思想扱い」だとか「一つの考え方として」だとか
そんな
「何も分かってないだけのやつが
分かってないことをごまかして
高みから公平に見ている人を気取るための詐欺」ともお別れです。
自分で「調べて」自分で「考え」ましょう。
先に言っとくけど
分からないままに状況も調べず結果も想定せず
感覚と観念だけで自分で適当に決めた「答え」なんぞは全部捨ててください。
「答え」は状況を調べて結果を想定しなければ出てきません。
それをしていないのに出てきた「答え」や「傾向」や「方向性」を
「思想」とか「主義」とかいいます。
そういうものを持っている人間を「偏っている」とか「歪んでいる」とか言います。
(あなたの感覚に照らして偏っているものが「偏っている」のではありません
状況や結果と関係なく特定の方向性を持っているものを「偏っている」といいます。)
もしあなたが上の4つ、
日本国における「目的」「状況」「手段」「結果」がきちんと答えられないとしたら
あなたは日本国の政治について100%全く分かっていないということです。
状況すら分かってない間に出した「答え」なんてのは
たんに「私はこんな気分です」というのをまるで社会的正当性がある
事実であるかのように偽装しただけの詐欺です。
もちろんそういう「「答え」を守ること」は日本国の国家目的ではありませんので
「どうしたらこれまでの自分の答えが正しかったことにできるか」を考えるのではなく
きちんと「状況を把握して」「結果を考え」ましょう。
わからなかったお!!って人は
次の選挙まで時間はあるので毎日ちょっとずつでも情報収集していきましょうね。
追記
「全体把握」や「情報収集」がどこから手を付けていいやら
見当もつかないという意見をいただいたので追記です。
具体的な方法を説明します。
一切難しく考えなくていいから
とにかく幅広ーく
ネット上の討論を見て回ってください。
それだけでいいです。
いついつまでに「分かれ」とも「判断しろ」とも言いません。
ただひたすらいろんなジャンルのブログや掲示板やニュースサイトなどを見て回って
子供が昆虫の動きを観察するような目で「観察」してください。
何も主張する必要もなければ判断する必要もありません。
ボケーッとでもあちこち見てれば情報が蓄積されて
「勝手にわかってくる」ので無理にがんばってわかろうとしなくていいです。
軍事や経済、政治、世界情勢など様々なジャンルで
いろんな人がいろんなことを言っています。
そして往々にして討論が発生し「貴様は嘘つきだ」と主張し合っています。
それを暇なときにでも片っ端から見て回りましょう。
最初はちんぷんかんぷんでも構いません。
すぐに理解しなくても判断しなくてもいいです。
興味が湧いたジャンルからでも構いません。
とにかく幅広く「ただ見ましょう」。
それを1~2年も続けていればなんとなーく全体の傾向や起こっている事態が把握できてきます。
また嘘つきはボロが出るので「なんかこっち陣営怪しいな」「あ、コイツ嘘つきだ」
「これは嘘でこれは本当だな」ってのが
討論を長い間見ていると全くのド素人でもだんだんわかってきます。
要するに2年ロムれってだけの話です。
それで分からなければ3年4年でもあるいは10年でも構いません。
討論を長い間見ることによってどっちが嘘つきなのか分かり
それは詐欺師や主義者の排除につながります。
また討論はたがいに全力なので詳しいやつらが
情報を次々と繰り出してくれるため多種多様な情報が飛び込んできます。
詳しく知りたいことがあれば質問してみてもいいでしょう。
このようにな~~~んにも難しい話ではないので
今日からでもやってみましょう。
変に気張らず単なる「暇つぶしの習慣」にする。
討論という公開決闘を見て「正しいものを見出す楽しみ」を覚える。
「ごちゃごちゃ考えずにとにかく暇なときにぼけーっと見てみる」ことが大事です。
消費増税来たか。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131001/plc13100114040012-n1.htm
あーあ。財務省に負けたか。
あるいはしっかりした財政出動をするための駆け引きの結果か。
本日夕刻には説明があるそうなので待機。
その内容次第じゃ失われた20年が30年になるかもしれないが
まぁ麻生さんらがパッケージ作ってんならまぁ大丈夫だろうとは思う。
要は消費増税で景気が冷える分を上回る財政出動をすれば
少なくとも酷い結果にはならないわけだからね。
特に耐震関係は火急でガンガンやってほしいし。
マジで財政出動頼みますよ?
大規模な奴な。次元が違う大規模な奴な。
しっかし本当になぁ・・・・
今と言うか来年やる必要はどこにもないんだよね。
景気回復すりゃ増収になるんだからそれで話は終わりだし
景気過熱してヤバいとなったなら消費増税もすればいい。
それは安倍麻生あたりはきっちりわかってる。
その上でこの判断と言うことはやっぱり財務省とか経団連みたいな
目的をはき違えたアホの力が働いてんだろうなぁ。
どうにかならんかなあの辺の
国家目的見失って省益だの業界利益だののためだけに動く連中は。
群れの利益を無視して自分の利益だけ追求しても自分の首絞めるだけだってのに。
追記
現在作業状況
天空完了、
プリベルあとペン入れ10Pくらいと仕上げだけ。
プリベルプロット13巻分まで完了
ダークドリームこれから。
ずっとブログとか放置しててすみませんOTL
あーあ。財務省に負けたか。
あるいはしっかりした財政出動をするための駆け引きの結果か。
本日夕刻には説明があるそうなので待機。
その内容次第じゃ失われた20年が30年になるかもしれないが
まぁ麻生さんらがパッケージ作ってんならまぁ大丈夫だろうとは思う。
要は消費増税で景気が冷える分を上回る財政出動をすれば
少なくとも酷い結果にはならないわけだからね。
特に耐震関係は火急でガンガンやってほしいし。
マジで財政出動頼みますよ?
大規模な奴な。次元が違う大規模な奴な。
しっかし本当になぁ・・・・
今と言うか来年やる必要はどこにもないんだよね。
景気回復すりゃ増収になるんだからそれで話は終わりだし
景気過熱してヤバいとなったなら消費増税もすればいい。
それは安倍麻生あたりはきっちりわかってる。
その上でこの判断と言うことはやっぱり財務省とか経団連みたいな
目的をはき違えたアホの力が働いてんだろうなぁ。
どうにかならんかなあの辺の
国家目的見失って省益だの業界利益だののためだけに動く連中は。
群れの利益を無視して自分の利益だけ追求しても自分の首絞めるだけだってのに。
追記
現在作業状況
天空完了、
プリベルあとペン入れ10Pくらいと仕上げだけ。
プリベルプロット13巻分まで完了
ダークドリームこれから。
ずっとブログとか放置しててすみませんOTL
参院選。赤池さん当選。トミ子落選。わぁい。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11577731087.html
奇跡に見える必然について
引用開始
そして、自由民主党の全国比例区、赤池まさあき先生が、山梨県連や党本部の支援が「全く」得られない中、もちろん組織やバックもない中、一部の支援者とネットのみを頼みに選挙戦を戦われ、20万票という見事な得票数で完勝しました。
1位 429,002 柘植 芳文
2位 338,485 山田 俊男
3位 326,541 佐藤 正久
4位 294,148 石井 みどり
5位 279,952 橋本 聖子
6位 249,818 羽生田 俊
7位 215,506 佐藤 信秋
8位 208,319 赤池 誠章
9位 205,779 山東 昭子
10位 204,404 衛藤 晟一
(以下略)
引用終わり
普通に赤池さんに入れましたが
すげぇな。地盤なしで20万票か。
三橋貴明先生のブログ効果パネェwww
トミ子落選はメシウマ。
反日が自己の存在理由みたいな頭おかしいのが日本の政界からまた一人消えた。
やー後はさっさと国土強靭化とデフレ対策と軍事増強とあからさまな中国包囲外交とあの国シカト外交進めてほしいですね。
あーあと靖国に参拝すると行き過ぎた反日で自縄自縛になって
反日国家(だけ)がもだえ苦しむので是非行ってほしいです。
TPPと表現規制と発送電分離はやめてほしいけど。
後国防軍って名前ダサいから自衛隊のままでいいよ。
ところで関係ないけど
梅干し干しあがりましたー。
ひゃっふー。
梅酢に戻して漬けてあるんですが
10日くらいで食えるそうです。
来月頭には試食できるかな。
今「試食」と打とうとしたら「屍食」とでたww
作ってた原案で出てきた屍食鬼のせいだw
奇跡に見える必然について
引用開始
そして、自由民主党の全国比例区、赤池まさあき先生が、山梨県連や党本部の支援が「全く」得られない中、もちろん組織やバックもない中、一部の支援者とネットのみを頼みに選挙戦を戦われ、20万票という見事な得票数で完勝しました。
1位 429,002 柘植 芳文
2位 338,485 山田 俊男
3位 326,541 佐藤 正久
4位 294,148 石井 みどり
5位 279,952 橋本 聖子
6位 249,818 羽生田 俊
7位 215,506 佐藤 信秋
8位 208,319 赤池 誠章
9位 205,779 山東 昭子
10位 204,404 衛藤 晟一
(以下略)
引用終わり
普通に赤池さんに入れましたが
すげぇな。地盤なしで20万票か。
三橋貴明先生のブログ効果パネェwww
トミ子落選はメシウマ。
反日が自己の存在理由みたいな頭おかしいのが日本の政界からまた一人消えた。
やー後はさっさと国土強靭化とデフレ対策と軍事増強とあからさまな中国包囲外交とあの国シカト外交進めてほしいですね。
あーあと靖国に参拝すると行き過ぎた反日で自縄自縛になって
反日国家(だけ)がもだえ苦しむので是非行ってほしいです。
TPPと表現規制と発送電分離はやめてほしいけど。
後国防軍って名前ダサいから自衛隊のままでいいよ。
ところで関係ないけど
梅干し干しあがりましたー。
ひゃっふー。
梅酢に戻して漬けてあるんですが
10日くらいで食えるそうです。
来月頭には試食できるかな。
今「試食」と打とうとしたら「屍食」とでたww
作ってた原案で出てきた屍食鬼のせいだw