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ハーバード白熱教室読了。
読み終わってはっきりわかったんですが
アレだね。
今の「哲学」ってのは錬金術だね。
不老不死の薬や賢者の石の存在を信じてそれに向けてあらゆることを試した錬金術のように
何か宙に浮いた絶対的な真理や正義や善性があると信じてそれに向けてあらゆる論理を試す哲学はそっくりです。
これじゃあ哲学といえば
「なんか答えも出ないことを延々だらだら難解な言葉を駆使して真面目な顔して話してる頭のいいバカのお遊戯」
みたいな白い目で見られたり敬遠されたりしてるのも当然です。
前提に絶対真理的な何かがあると「信じて」やってる時点で宗教だもの。錬金術だもの。
でも無駄とは言いません。
錬金術が現代科学の礎となったように今の哲学も現代哲学?(今命名)の礎となるでしょう。
いろいろ勉強になりました。ハーバード白熱教室。
ただまぁそろそろさぁ・・・
アリストテレスとかの時代からずーっとやってんだから
いい加減宗教的なレベルから降りてきて地に足着いた哲学を始めてもいいんじゃねーのと思うけどね。
あらかじめあるはずだと「信じた」何かを探すのが錬金術的哲学なら
ありのままを感情も信仰も排して観察しそこから順を追うのが現代科学的哲学といえましょう。
錬金術が否定され現代科学が発達して
雷は「神の怒り」から「放電現象」に
太陽は「神そのもの」から「水素の塊」になったように
「善や正義」は「都合や快不快の電気信号」になるでしょうが
もっと地に足着いた「強靭」な哲学が手に入るはずです。
逆に地から浮遊した、まるで天から授けられたかのようにポンと存在する善性や正義があると「信じてる」限り
この先何億年続けても永遠に答えが出ないまま宗教的錬金術を続けることになりますがね。
しかしまぁ久しぶりにいい本読んだなぁ・・・・
アレだね。
今の「哲学」ってのは錬金術だね。
不老不死の薬や賢者の石の存在を信じてそれに向けてあらゆることを試した錬金術のように
何か宙に浮いた絶対的な真理や正義や善性があると信じてそれに向けてあらゆる論理を試す哲学はそっくりです。
これじゃあ哲学といえば
「なんか答えも出ないことを延々だらだら難解な言葉を駆使して真面目な顔して話してる頭のいいバカのお遊戯」
みたいな白い目で見られたり敬遠されたりしてるのも当然です。
前提に絶対真理的な何かがあると「信じて」やってる時点で宗教だもの。錬金術だもの。
でも無駄とは言いません。
錬金術が現代科学の礎となったように今の哲学も現代哲学?(今命名)の礎となるでしょう。
いろいろ勉強になりました。ハーバード白熱教室。
ただまぁそろそろさぁ・・・
アリストテレスとかの時代からずーっとやってんだから
いい加減宗教的なレベルから降りてきて地に足着いた哲学を始めてもいいんじゃねーのと思うけどね。
あらかじめあるはずだと「信じた」何かを探すのが錬金術的哲学なら
ありのままを感情も信仰も排して観察しそこから順を追うのが現代科学的哲学といえましょう。
錬金術が否定され現代科学が発達して
雷は「神の怒り」から「放電現象」に
太陽は「神そのもの」から「水素の塊」になったように
「善や正義」は「都合や快不快の電気信号」になるでしょうが
もっと地に足着いた「強靭」な哲学が手に入るはずです。
逆に地から浮遊した、まるで天から授けられたかのようにポンと存在する善性や正義があると「信じてる」限り
この先何億年続けても永遠に答えが出ないまま宗教的錬金術を続けることになりますがね。
しかしまぁ久しぶりにいい本読んだなぁ・・・・
コメント
No title
今の哲学は公開オ○ニーですからねぇ…
そういえばアリスとテレスで双子少女にした失礼極まりない作品があったなぁ
《神の怒り》は全てのクリーチャーを破壊します、再生もさせません…あれ?
そういえばアリスとテレスで双子少女にした失礼極まりない作品があったなぁ
《神の怒り》は全てのクリーチャーを破壊します、再生もさせません…あれ?
誰かを生かせために誰かを殺すとか
ソウって映画を観てそれをひたすら自分ならどうすると過去の哲学者の言葉を使って生徒達と話し合ってるって感じですね
テレビで発熱見たけど答え無しが答えと思った
レポート書く生徒がキツそう
ソウって映画を観てそれをひたすら自分ならどうすると過去の哲学者の言葉を使って生徒達と話し合ってるって感じですね
テレビで発熱見たけど答え無しが答えと思った
レポート書く生徒がキツそう
しまった!
○白熱
×発熱
×発熱
No title
こんばんは、哲学は論理の積み重ねなのですが、元の古代の哲学者は大半が当時の宗教や風俗からの知識をもとに自分の正当性をうたっているのです。
古代ギリシャにも相対主義者がいました、彼らは相対主義で議論に勝ちました。しかしその結果国家のモラルやルールは無茶苦茶になったそうです。
どんな哲学も目的が単なる正当化では結果的に破滅しか起きないと考えられます。
他にも古代のチャイナの孫子が軍事の最高哲学と言われることがありますが、ガチの軍事マニアに言わせると現代の軍事の士官教育で十分撃破可能。歴史マニアからは上杉謙信は孫子を教科書にした武田を破っているし古代中国の戦闘方法や思考が時代や場所を越えて通じることは無いと言われました。
もう哲学という名前のお偉いさんの言葉を持ち出すのは辞めようと言いたいです。みんなで具体的な話し合いをした方が役に立ちますよ。
古代ギリシャにも相対主義者がいました、彼らは相対主義で議論に勝ちました。しかしその結果国家のモラルやルールは無茶苦茶になったそうです。
どんな哲学も目的が単なる正当化では結果的に破滅しか起きないと考えられます。
他にも古代のチャイナの孫子が軍事の最高哲学と言われることがありますが、ガチの軍事マニアに言わせると現代の軍事の士官教育で十分撃破可能。歴史マニアからは上杉謙信は孫子を教科書にした武田を破っているし古代中国の戦闘方法や思考が時代や場所を越えて通じることは無いと言われました。
もう哲学という名前のお偉いさんの言葉を持ち出すのは辞めようと言いたいです。みんなで具体的な話し合いをした方が役に立ちますよ。
どうでもいいんだけどマイケル・サンデルさんってプーチンに似てねぇか。
No title
ハーバード白熱教室は哲学のごく一部にすぎないので、
これだけで哲学を語るのは無理があります。
> 何か宙に浮いた絶対的な真理や正義や善性があると信じて
カントが「真理は人間が決めること」と言ってますし、
「絶対唯一の真理には辿り着けない」とするのが現代哲学の立場です。
その辺りについて調べると、白熱教室の議論に対する見方も変わるかもしれません。
それと、哲学を宗教と言うのなら、
錬金術どころか科学すら、最近まで
「いずれすべての物理現象は科学で解明できるはず」
という根拠のないお題目を掲げている宗教でした。
「解明できない」ということが分かってから、
まだ100年も経ってません。
これだけで哲学を語るのは無理があります。
> 何か宙に浮いた絶対的な真理や正義や善性があると信じて
カントが「真理は人間が決めること」と言ってますし、
「絶対唯一の真理には辿り着けない」とするのが現代哲学の立場です。
その辺りについて調べると、白熱教室の議論に対する見方も変わるかもしれません。
それと、哲学を宗教と言うのなら、
錬金術どころか科学すら、最近まで
「いずれすべての物理現象は科学で解明できるはず」
という根拠のないお題目を掲げている宗教でした。
「解明できない」ということが分かってから、
まだ100年も経ってません。
No title
長尾さん>
やーんなことはないでしょう。
従来の形の「哲学」自体が消滅することはあるかもしれませんが。
ジョーカー さん>
そ・・・そこまでは言いませんが
まぁ頭の体操以上のものではないと思いますね。
セバスさん>
善悪や道徳を神の指示みたいに捉えるとそういうことになりますね。
結局のところ残るのは個人の判断でやるべきことをやるしかないという現実に落ち着くわけですが。
ナガツキさん>
そうですねぇ・・・
従来の意味での「哲学」はもう死んでるのかもしれません。
undoさん>
そうですか?
その割には議論の内容が「前提が宗教的なものに基づいた場合に見られる特徴」を顕著に表してますが・・・・
発言の内容がどんどん複雑高度化し専門的用語や概念を作り出し引用しなければ会話が不能になり結局のところ堂々巡りでその正体はというと単に個人的快不快を言い合っているだけ。
これらは根底に宗教があるときによくおこる現象です。
本書の場合全員が善悪や道徳を一種神聖視していた、それがそもそもなんなのかを突き詰めなかったことが原因かと思われます。
私は「絶対唯一の真理には辿り着けない」というその「結論」が出た時点で
こういった授業で行うような「哲学」と呼ばれてるものはもう死んでる、今はただ死体が死んだままに徘徊しているだけんじゃないかと思いますがどう思われますか?
やーんなことはないでしょう。
従来の形の「哲学」自体が消滅することはあるかもしれませんが。
ジョーカー さん>
そ・・・そこまでは言いませんが
まぁ頭の体操以上のものではないと思いますね。
セバスさん>
善悪や道徳を神の指示みたいに捉えるとそういうことになりますね。
結局のところ残るのは個人の判断でやるべきことをやるしかないという現実に落ち着くわけですが。
ナガツキさん>
そうですねぇ・・・
従来の意味での「哲学」はもう死んでるのかもしれません。
undoさん>
そうですか?
その割には議論の内容が「前提が宗教的なものに基づいた場合に見られる特徴」を顕著に表してますが・・・・
発言の内容がどんどん複雑高度化し専門的用語や概念を作り出し引用しなければ会話が不能になり結局のところ堂々巡りでその正体はというと単に個人的快不快を言い合っているだけ。
これらは根底に宗教があるときによくおこる現象です。
本書の場合全員が善悪や道徳を一種神聖視していた、それがそもそもなんなのかを突き詰めなかったことが原因かと思われます。
私は「絶対唯一の真理には辿り着けない」というその「結論」が出た時点で
こういった授業で行うような「哲学」と呼ばれてるものはもう死んでる、今はただ死体が死んだままに徘徊しているだけんじゃないかと思いますがどう思われますか?
No title
アシさん>
正直私もそう思いましたw
正直私もそう思いましたw
No title
ハーバード白熱教室に関しては、講義の中で取り上げられた各論はともかく、
あの講義自体が道徳を神聖視していたということはないと思います。
現実にあった問題に対して生徒が快不快をもとに論じ合い、
どちらも絶対的なものではない、ということをサンデル教授が指摘する、
という流れで講義が進んでいたと記憶しています。
そして「みんなの道徳は一致しないが、だからこそ議論し続けることが重要である」
という結論で講義は終わりました。
主義主張が宗教じみていて快不快を言い合っているだけ、という点はその通りだと思います。
かつて宗教が乱立していた時代があり、それに対する批判から
論理による真理の追求が始まりました。
しかしこれも行き詰まり、現在は決定打のない理論が乱立している状態です。
決定打がない以上、自身の正当性を訴えるためには多数派になるしかなく、
さまざまな論法を駆使して支持者を増やそうとしているのが現状です。
これは乱立していた宗教が、説教により信者を獲得しようとしていたプロセスと
何も変わりません。
ですので、現在の哲学論争が宗教戦争に見えるのは当然とも言えます。
かつてこの状況を批判するために持ち出された「唯一の真理」はもはや使えず、
私たちは議論により妥協点を探すことしかできないのかもしれません。
とは言え議論のためにはまず「自分にとっての真理」を見つけなければなりません。
平たく言えば「人生観」「価値観」ですね。
ハーバード大学の講義も、生徒ひとりひとりが自分なりの価値観を見いだすための
カリキュラムなのでしょう(あれ専門じゃなくて一般教養ですし)。
このように「唯一の真理」から「個人の価値観」にシフトした哲学は
ある意味で「死んだ」と言うこともできるでしょう。
ニーチェの「神は死んだ」という有名な言葉もこの状況を表現したものです。
しかしニーチェはその後も「では神(真理)が死んだ世界でどう生きるか」という
思索を続けました。
そういう思索を続ける限り、宗教や真理が死んだとしても、
哲学が死ぬことはないのだと思います。
あの講義自体が道徳を神聖視していたということはないと思います。
現実にあった問題に対して生徒が快不快をもとに論じ合い、
どちらも絶対的なものではない、ということをサンデル教授が指摘する、
という流れで講義が進んでいたと記憶しています。
そして「みんなの道徳は一致しないが、だからこそ議論し続けることが重要である」
という結論で講義は終わりました。
主義主張が宗教じみていて快不快を言い合っているだけ、という点はその通りだと思います。
かつて宗教が乱立していた時代があり、それに対する批判から
論理による真理の追求が始まりました。
しかしこれも行き詰まり、現在は決定打のない理論が乱立している状態です。
決定打がない以上、自身の正当性を訴えるためには多数派になるしかなく、
さまざまな論法を駆使して支持者を増やそうとしているのが現状です。
これは乱立していた宗教が、説教により信者を獲得しようとしていたプロセスと
何も変わりません。
ですので、現在の哲学論争が宗教戦争に見えるのは当然とも言えます。
かつてこの状況を批判するために持ち出された「唯一の真理」はもはや使えず、
私たちは議論により妥協点を探すことしかできないのかもしれません。
とは言え議論のためにはまず「自分にとっての真理」を見つけなければなりません。
平たく言えば「人生観」「価値観」ですね。
ハーバード大学の講義も、生徒ひとりひとりが自分なりの価値観を見いだすための
カリキュラムなのでしょう(あれ専門じゃなくて一般教養ですし)。
このように「唯一の真理」から「個人の価値観」にシフトした哲学は
ある意味で「死んだ」と言うこともできるでしょう。
ニーチェの「神は死んだ」という有名な言葉もこの状況を表現したものです。
しかしニーチェはその後も「では神(真理)が死んだ世界でどう生きるか」という
思索を続けました。
そういう思索を続ける限り、宗教や真理が死んだとしても、
哲学が死ぬことはないのだと思います。
No title
一般に道徳や善性とはそれがなんなのか追及されることなく感覚的に何となく理解されているものと思います。
道徳や善性とは何かを論ずることなく議論を始めればそれは必然善性や道徳の正体を知らないまま神聖視(何か特別なこととして理解する)したうえでの議論となるかと。
で総論ですがなるほどそれなら納得できます。
「従来の宗教的な哲学は死んだ。
次は新しい哲学が始まる。」
これを持って結論としたいのですが同意に至れますでしょうか。
道徳や善性とは何かを論ずることなく議論を始めればそれは必然善性や道徳の正体を知らないまま神聖視(何か特別なこととして理解する)したうえでの議論となるかと。
で総論ですがなるほどそれなら納得できます。
「従来の宗教的な哲学は死んだ。
次は新しい哲学が始まる。」
これを持って結論としたいのですが同意に至れますでしょうか。
美女と・・・
あなたにピッタリの男性みつかります!☆-(ゝω・ )ノ♪ http://fgn.asia/
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快楽殺人犯は大脳のあそこらへんの細胞がおかしな方向向いてる。 とか
で、手術で更正させちゃったりして。
あれ?なんかどっかの映画で見たような気がする。